滅びの美学

生まれてはじめて見た死体が、自殺した女性のものだった。

当時三歳位だった私は、その光景をおぼろげにだが覚えている。

布団に横たわる、物言わぬ彼女の体。

私は、彼女の家に良く遊びに行ったそうだ。

子供のいないその人は、私をかわいがってくれたらしい。

アケビの生る裏庭があったことはよく覚えている。

でも、彼女がどんな声をしていたのか、どんな顔をしていたのかさえ私は忘れてしまった。

人は、生きている限り確実に死へと向かっている。

私は、物心ついた時から死に憑りつかれていた。

死とは、闇であると同時に甘美な憧れ、そして未知なるものだった。

自分で自分の命を絶てる、人間には選択肢がある。

こんなこと書くと、病気や事故で失意のまま、あるいは何もわからないまま死んでいった人間たちに非難されそうだが、この死にたいのは、きっと病気のせいなんだと笑ってくれたら、うれしい。

私は、三度ほど自殺に失敗している。

三度目が酷かったので今こうして生きているのだが、まだ諦めたわけではない。

私は、この人生に悲観などしている訳ではなく、形式や見た目に拘る人間なのであまり年老いて死にたくないだけなのかもしれない。

父は四十七で死んでしまった。

私は今年三十五になる。

父より年をとるのは嫌なのだ。

三度目の自殺に失敗した時、私は自殺で死んでしまったら父に会えないという事を思い知ったので、天寿を全うするしかないのだが。

初めと二度目は、腕を切った。死ねなかった。

血の海は鉄臭くて、美容師用の鋏は思いの外よく切れた。

腕から見えた脂肪の層が妙に生々しかった。

三度目は、薬を飲んだ。

確実に死のうと思った。一瓶五〇錠入りの睡眠導入剤を何錠飲んだだろうか?

じわじわと体が動かなくなり、呼吸が苦しくなった。

ベッドから降りて、床に丸くなった。

自分で、自分を支えないと、こぼれ落ちてしまいそうだった。

ああ、死ぬんだなと思った。

目を閉じると、真っ暗闇の中に閃光がとめどなく走った。

ああ、そうか、私は天国にも地獄にも行けないんだ。

この真っ暗闇を永遠に彷徨うんだ。馬鹿だな。

母と、妹の顔が浮かんだ。

ああ、どうしよう。あの人たちに、何も言わなかった。

ごめんなさい。

どのくらい寝たのか覚えていないが、死んでなかったとわかった時私はほっとした。

朝陽があまりにも眩しいので死にたくなった。

独りになりたい、死んでしまおう。

あの歌は、死にはもってつけの美しさじゃないか。

アスファルトが溶けるくらいに灼熱の夏、あの高架橋から飛び降りたらどうだろう?

ロープをぶら下げる場所を見つけてしまったので、そこから逃げ出せそうにもない。

あの人が自殺したから、私もしてしまおうか?世界はどうせ周っていくのだから。

老い滅びる私の体。

確実に、死に向かっている。

それが、今の私の滅びの美学。

きっと私は美しい自殺体にはなれないから、老い滅びる。

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