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「うらやましい」の裏にある本音

「あの人、勉強できてうらやましいな」
「あの子、可愛くてモテていいなぁ」
子供の頃に、他の誰かを“うらやましいな”と思う気持ち、
大人になってもありますよね。
「あの人、学歴が高くていいなぁ」
「あの人、仕事で評価されていていいなぁ」
「あの人、結婚できていてうらやましい」

誰かに嫉妬しちゃう、うらやましいって思ってしまう。
それは、あなたにも、そうなれる要素があるからだ、と言われたりもします。
けれども、自分にないから(ないと思ってしまうから)「うらやましい」という感情が出てしまうのですよね。

今回は、その「うらやましい」の裏にある心理、そして、過去の「うらやましい」が成長とともにどうなっていったかについて、深掘りしてみたいと思います。

実例:私の場合

私などはコンプレックスの塊のようなもので、
✔️幼稚園時代には「スポーツができる人がうらやましい」
✔️小学生の時は「目立てる人、キラキラしている人がうらやましい」
✔️中学生の時は「クラスの人気者や勉強ができる人がうらやましい」
✔️高校生の時は「頭も良くて友達もたくさんいる人がうらやましい」
✔️大学生の時は「自分でイベントとかできて、人を呼べるなんてうらやましい」
✔️社会人になりたての時は「人並みに稼げるような職業の人がうらやましい」
「大企業に就職できるような容姿や要領がある人がうらやましい」
✔️今は「新しい家庭を築けて子供も友達もたくさんいて、ビジネスも絶好調でお金がたくさんあるっていいな」
…と、いつも誰かをうらやましがっていました。

それは、本心?それとも…。

これらの「うらやましい」、実は2種類に分けることができます。

①自分が本心から憧れる、そうなりたいと思うから
②そうなれないと人としてダメだと思われるのに、自分はできていないことだから

私が過去から今にかけて感じている「うらやましい」を分けてみると、こうなります。

①本心からの憧れ
・「目立てる人、キラキラしている人がうらやましい」(小学生)
・「自分でイベントとかできて、人を呼べるなんてうらやましい」(大学生)

②これができないと人としてダメ
・「スポーツができる人がうらやましい」(幼稚園時代)
・「クラスの人気者や勉強ができる人がうらやましい」(中学生)
・「頭も良くて友達もたくさんいる人がうらやましい」(高校生)
・「人並みに稼げるような職業の人がうらやましい」(社会人になりたて)
「大企業に就職できるような容姿や要領がある人がうらやましい」(社会人になりたて)
・「新しい家庭を築けて子供も友達もたくさんいて、ビジネスも絶好調でお金がたくさんあるっていいな」(今(笑))

ここで、②をよく見てみると、
「できた方が素晴らしいと誰もが認めるもの」
という共通項が出てきます。

実は、②「これができないと人としてダメ」だと思っていることって、小さい頃から親や学校や世間などに、
「このくらいは出来てないといけないのよ」
「人としてこうあるべき」
と、洗脳のように吹き込まれたものばかり。
そこには、誰かからの評価軸「他人軸」が潜んでいます。

たしかに、スポーツや勉強は、できた方がいいでしょう。
友達も多い方が「社交的」と社会で好評価ですし、中小企業よりも大企業勤めの方が、ある年齢層の人や婚活している人にとっては好ましく見えることもあります。
結婚も子供もどっちも手に入れている方が、そうでない人よりも、社会的に「成功者」のように感じられるのでしょう。

ただ、それらを手に入れることと、自分自身の満足や人生の充実、幸せは別のベクトルの話です。

本音の欲求が満たされた時の感覚

時を経て、②の「うらやましい」がある程度手に入った時、
“人としての義務をひとつクリアした”
という、ほっとした気持ちを感じました。

✔️人並みに稼げるようになった。
✔️友達もできた。
✔️頭いいって言われるようになった。

けれども、これらを達成したと感じた時、「満足感」や「幸せ」「充実感」などは、あまり湧いてこなかったのです。

義務を果たした、これで最低ラインをひとつクリアした、という思考が大部分を占めていました。

一方、
🌸大会で優勝してVIP待遇を受け、その後の業界の懇親会で「お名前を拝見したことがあります」と言われたり、
🌸自分で企画したイベントで人が来てくれたり、
🌸可愛がってもらえているのを感じたり、
🌸人柄が好きですと言われたりする時、

心の奥からのワクワクやほっこりした安心感、じわりと来る嬉しさなどが湧き出てくるのを感じます。

世間で言う「成功者の姿」とはちょっとずれているけれども、こういうものが本当に私を幸せにしてくれる要素なんだな、と思います。

「うらやましい」の裏にある本音とは

②のような、「これができないと人としてダメ」だけど「自分にはできていないものだから、できる人がうらやましい」もの。

この裏にあるのは、「できなかった時に発生する“恐怖”や“悲しみ”」ではないかと思います。

小さい頃、勉強ができなくて親に怒られたり、
親が願うレベルの学校に入れなかったり、
できるだけ友達を作った方がいいと吹き込まれたり、
生活費くらい稼げる、結婚できるのが人として当たり前なんだよと繰り返し言われてきたら、

それが少しでも“できない自分”は、“欠陥品”なのではないか?と信じてしまっても不思議ではありません。
そして、小さい頃に、親の期待に応えられなかった時に、怒られたり、泣かれたり、「あんたは本当にダメな子」のような言葉を言われてしまったら、
“できない自分”=“怒られる”“悲しまれる”“人格否定される”となってもおかしくありません。

つまり、この手の「あの人いいなぁ」は、「能力があると苦しまずに済むのがうらやましい」ということ。

これ、本当は、“できない”と“苦しみ”がイコールにならなければ生まれないはずの嫉妬なのではないでしょうか。

一方、「①本心からのうらやましい」は、本当に自分を幸せにしてくれるもの。

その「うらやましい」は、①自分軸なのか、②他人軸なのか、うまく見極められるようになれるといいですね。
目下、研究中です。

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