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経験すべきものと、そうでないもの

努力すれば、挑戦すれば、
今は無理でも、できるようになれるに決まってるでしょ。

人生で苦労をしたことがなく、「ちょっとした努力」で達成できた経験に対しては思いがちです。

でも、人によって、
「どうしてもできないもの」
「努力しようとしたら邪魔が入るもの」
「いくら頑張ろうが不思議な力が働いて、なぜかできなくなってしまうもの」
というのは確実に存在します。
(その逆もしかりですが)

たとえば私は、傍から見たら「ちょっとした努力」で地域のトップ校や旧帝大に合格してしまった一方で、
「普通の人がちょっと努力したらできる」恋愛や結婚や出産は一切体験したことがありません。

どうしてだろう?と不思議に思います。
「ちょっとした努力でできる」ものと「どうしてもできないものの違い」っていったい何なのか。

<ちょっとした努力でできたこと>
某旧帝大に合格したことを例にとると。

自分の意志で進路を決めていたら、絶対に行くはずのない場所でした。
周りの圧力や固定観念に影響を受けて行っただけの話であって、
「自分の意志で決めてがんばって」達成したものではありません。

じゃあ、なぜそこに身を置くことになったのか。
”縁”ではないのかな?と今では思います。

そこにいる必要があったから、そこにいた。
未来に進むべき道に必要だったから、進んだ。
そこで出会うべき人がいた。

それだけの話ではないのかな?って。

逆に考えたら、「どうしてもできないこと」って、
「経験してはいけないもの」なのかもしれません。

私の人生にとって邪魔になるものだから、経験していないだけ。
だから、命の危険を感じるような事件が起こって、「普通の人だったら容易に体験できること」から気持ち的にも私を遠ざけようとしてくれていたのかもしれません。

<だとしたら>
結局、学歴だって結婚だって子供だって、〝縁〟でしかなくて、縁がなければどんなに努力して達成したとしたって、幸せな未来にはたどり着けないのかもしれません。

”大きな人生の流れの中で必要なことが起きるもの”
願えば叶う。努力すればOK、という次元のものではないのですね。
「それはあなたにとって、関わる価値のあるものですか?」
どうしても縁のないものって、関わるべきものではないのかもしれないのです。

周りの人がいいと言うものの他に、エネルギーを注ぐべきものがあるということなのかもしれません。
縁のあるものは、興味がなくてもふとした瞬間に来て、きっと深く関わるものになるのでしょう。


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