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死のリスクのないところに生はない その3

現代人は「頭でっかち」になってしまっています。

肌感覚はもはや瀕死の状態にあります。


「脳は肌を隠す」

このことは一体、何を意味するのでしょうか。


肌が感じると脳は考えられなくなり

その存在意義を失う危機に陥ります。

防衛規制が肌を感じないようにさせているのかもしれません。


そんなこともあり、5感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)のうち、

触覚は一番下等な感覚であると、

今や完全に隅に追いやられてしまっています。


そのことは、裸足になると否応なしに理解させられます。

今までいかに肌感覚を蔑ろにして生きてきたかを、

足裏から痛感してしまうのです。


考えないようにしないと本当の動きは発動されません。

なぜなら私たちは言葉でカラダを信じられない程に呪縛しているからです。

なのに、この呪縛を解くために

さらに新しい言葉を費やして呪縛するということが

脳によって当たり前に繰り返されています。


考えるのをやめるには、

考える余裕がないほど沢山感じる他に方法はないのです。

沢山考えていては感じる余裕はないですし、

沢山感じていれば考える余裕はなくなります。

リソースは限られているのです。


裸足で外岩をクライミングすると、

普通の生活ではあり得ないほどの沢山の感覚入力がおこって、

考えるという余力がいとも簡単に失われます。


「死ぬかもしれない」と考える余裕はなく、

ひたすらに「死の気配」を全身で感じるのです。


そしてこの、考えることなく、感じてただ動くという状態が、

裸足クライマーを未体験ゾーンへと誘うのです。

ビレイヤーもオーディエンスもそれを肌で感じて「感動」するのです。


死のリスクのないところに生はない その2
https://note.com/man10000/n/n6495423fe348


死のリスクのないところに生はない その1
https://note.com/man10000/n/nd39300be4ba3




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