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【真夜中のアイスコーヒー】

初の短編小説

ーーーーーー 1 ーーーーーー

僕は今、ベランダに居る。
ここから見える景色が好きだからだ。



春には桜、秋には銀杏並木、クリスマスには
イルミネーションが点灯される。
今年で、住み始めて3年。
ここへ来た当初は、桜が散った後だった。

 

築30年にしては、内装も設備も充実し、
共用部は、いつも綺麗にしてある。
ここのオーナーは、とにかく人が良い。
気が付けば、いつも掃除をしてくれているお陰だ。

 

その他にも、住人へ声を掛け、気遣ってくれたり、野菜や果物を分けてくれたりもする。
まるで、田舎のおばあちゃんのようだ。



近くには大学があり、交通の便がとにかく良い。
JR線まで徒歩5分、近鉄線までも徒歩10分となかなかの立地なのに、家賃はワンルームで3万円、7帖の部屋と押入れが1つ。



トイレもお風呂も各部屋にあり、一人暮らしには十分な部屋である。
一つ不満を挙げるなら、ユニットバスなのが残念なところだろう。



ーーーーーー 2 ーーーーーー 

 

「はぁー,なんでやろう。」
大きな白いため息と一緒に、心の声が漏れた。

 

つい、昨日の出来事。
僕には、付き合って1年になる彼女がいるのだが、記念日をすっかり忘れてしまっていたのだ。

 

今更、言い訳するつもりはないが、
忘れた理由は2つある。
スマホのカレンダーの設定を間違えていたこと。
設定日が、翌日になっていた。

 

そして、もうひとつは、大切な記念日を覚えておく頭が無かったことだ。


つい先日も、
アルバイト先に新人が入ってきたのだが、
”野中さん”の事を、”野山さん”と呼んでしまう始末だったし、どうも、相手の名前や生年月日などの情報を覚えるのが苦手らしい。

 

なんとも情けない話だが、自分を責める気にもなれなかった。

 

実は、さっきのため息の理由は、
自分の情けなさとは別の所にある。

記念日、当日。

いつもより、楽しそうな彼女の姿に気付いていたが、
「ねぇ、今日なんの日か知ってる?」の質問に、答える事が出来なかった事。
「さぁ、どっかの国の建国記念日?」と、
冗談めかして言ったのが失敗だったようだ。

 

そのあとは、言うまでもない。
雑踏の中、僕の左頬に戦慄が走り、立派なモミジが付いた。
その時の音は、オーケストラのシンバルのようで、空気が乾燥していたのと、ビルの間に居たことで、何倍にも反響され、周囲の殆どの人が振り向いたくらいだった。

 

「優の、バカ!」と、涙ぐむ香織の姿を追いかける事も出来ず、一瞬の出来事が、10分ほどの時間に感じられ、どこか遠くへ行ってしまいたい気持ちになった。

 

「終わった事は仕方ない。」とは思いつつ、
大きなため息だけでは、喉のつっかえは取れないようだ。

 

大抵の事は、寝たら忘れられそうだが、そう簡単にはさせてくれない。
対人関係のトラブルとは、本当にめんどくさいもので、相手の気持ちをコントロールする事なんか出来やしないし、何が正解なのかもよくわからない。

 

時に、謝罪の言葉を述べようとも、うまくいかない時は、とことんうまくいかないようになっているのである。

 

ましてや、愛を誓いあった恋人の中なら尚更だ。
この瞬間だけは、一生独り身で生きていた方が楽だと思ってしまう程だ。

 

ーーーーーー 3 ーーーーーー

 

少し、肌寒くなってきたので部屋へと戻ろう。
ワンルームには似つかわしくない、大きな時計は21時を指している。
引っ越しと同時に、白字に緑のコントラストが映える店で買ったものだ。



暖を取る為に、ケトルに水を張り電源を入れる。
沸くまでの間、さっき送ったLINEを確認してみるが、既読が付く様子は無い。
会って話をするのが先決だと思っているが、これでは、会う事さえできないでいるのだ。



俯く僕の頭上で、小気味よい音がコーヒーを作る合図を告げた。



こう言っては何だが、コーヒーにはこだわりがある。
大抵は、店で豆を挽いて貰えるのだが、
自分で挽いている時の香りが、たまらなく好きなのだ。

 

最近では、電動ミルが主流になってきているが、挽いている時の感覚が好きで、今でも手動を使っている。
挽き豆の粗さを調整している時なんかは、職人になった気分になるもんだ。

 

フィルターを付けたドリッパーとカップに,お湯を注ぎ温める。
温度が低下するのを防ぎ、香りや成分を減らさないようにする為だ。

 

次に、コーヒー豆を挽いていく。
いつもは、浅煎りですっきりしたものを好むが、今日は、イタリアンローストな気分。
しっかりとした苦みが、全てを忘れさせてくれそうな気がしたからだ。

 

メジャースプーンに豆を抄い、ミルに流し込む。
一定の速さを保ちながらゆっくり回すのがポイントで、摩擦熱により、質が落ちてしまうのを防ぐためだ。

 

ハンドミルを左手でしっかりと握り、ハンドルを回し始めると、カリカリという音を鳴らし、香りを放出する。
ナッツを焦がしたようなスモーキーな香りが、部屋に充満していくのを感じる。



この瞬間が、最高に堪らない。

 

再度、ポットにスイッチを入れ、お湯を沸かす。
その間に、温める為に入れたカップのお湯を捨て、ドリッパーをセットする。

 

挽いた豆を、メジャースプーンの10gまで抄い、フィルターに落とす。
ドリッパーを軽く揺らして、表面を均一にしたら、秤をゼロに合わせて、準備万端だ。



カチッ!二度目の音が合図を告げる。

 

焦る気持ちとは別に、脳内では一人芝居が繰り広げられている。

『待て待て。コーヒーを淹れる適温は、90~95℃。開始の合図から、ほんの十秒待つのだ。そうすれば、存分にコーヒーの味を堪能できる。』

やっと、落ち着きを取り戻したところで、ポットを手に取り、ゆっくりとお湯を注いでいく。

 

初めは、ほんの20㏄程。
『蒸らし』と呼ばれる、コーヒーの旨味を抽出する、重要な工程の一つだ。

 

別名、ガス抜きとも呼ばれる。
コーヒーとお湯が馴染みやすい様にする為の工程で、ガスで膨らむ姿が、生き物のように感じ、愛おしさを感じる。

 

30秒程の蒸らしが終える間に、スマホの画面を横目で見るが、まだ、既読は付いていない。

 

落ち込む僕を横目に、最後の雫が、次の合図を告げる。

 

コーヒーの淹れ方は、千差万別で。
これと言った正解がないのも事実。
人の価値観の数だけ、淹れ方があるってことだろう。

 

二投目は60㏄を淹れる。
真ん中から、500円玉大の”の”の字を描くように、ゆっくり、ゆっくりと。
目安は、コーヒーの層がフィルターの7、8割の高さまで。お湯がコーヒーに、馴染んでいくのがわかる。

 

完全に落としきる前に、三投目を淹れよう。
最後は80㏄。淹れ方は、二投目と同じだ。
二投目の高さを超えないように、慎重にお湯を注ぐ。

 

140㏄に達した時点で、ドリッパーを外す。
最後まで、完全に抽出すれば、雑味とエグミを抽出することになるからだ。

 

ひと息吐く、準備が整った。

 

ーーーーーー 4 ーーーーーー 

 

スマホの画面は、PM9:25を表示している。
まだ、LINEへの返事は無い。
コーヒーを片手に、ソファの奥へと腰を落とす。

 

「ふーっ。」
色んな感情が入り混じった溜め息を、天井へ向かい吐き出した。

 

”後悔先に立たず”とは、この事だ。
終わった事は仕方が無いと、頭では理解していても、こうして今、悔やんでしまっている。

 

むしろ、後悔する方が人間らしいと言うべきか。
後悔しない人がいれば、この状況における対処方法を教えて欲しいくらいだ。

 

「あーぁ。」
何ともやるせない声が、口からこぼれた。
目を瞑ればもう一度、味わうことが出来そうなくらい。あの時の衝撃が、脳裏に焼き付いて離れないでいるからだ。

 

忘れようとすれば、思い出し。
思い出しては、後悔をする。
そんな堂々巡りを繰り返し、浮足立った僕を、スマホのバイブ音が現実へと引き戻させた。

 

直ぐにスマホのロックを解除する。
ロック番号は『0610』僕の誕生日だ。


通知は、LINEから。

 
急いでアプリを開く。
香織のアイコンに…、通知のサインは無い。
通知先は、スーパーの特売チラシだった。


期待を裏切られた、そんな感情がこみ上げてくる。
「もう、何だよ!」吐き出した言葉と共に、スマホを、ソファへ放り投げた。

 

時計の針は、PM10:00を過ぎたところ。
歯がゆい状況から脱却出来ないでいる、この状況が、何とももどかしい。

 
「はぁー。」何度目の溜め息だろうか。
顔は少し血の気が引いていて、チアノーゼ寸前。
いつの間にか浅くなった呼吸が、現実を更に濃い現実へと変え、僕を、混沌の世界へと招いていたのだろう。

 

慌てて、肩から呼吸を1回、2回。
深い呼吸をすることで、自律神経の乱れを整える作用があるらしい。

 

時刻は、PM10:15。
再度、スマホのバイブが合図を告げる。
僕はまだ、落ち着くことは出来ないらしい。

 

高鳴る鼓動に、浅くなる呼吸。
期待で高まる心音が、焦りと動揺を生み、僕を、海底へと誘う。

 

呼吸がおぼつかない体は、手と指の神経を鈍らせてくるのだ。
スマホのロックを解除しようにも、震えが操作の邪魔をする。
これを間違えば、次の解除は5分後だ。
その重圧が、さらに震えを呼び寄せた。

 

0……6………1…………0。
ロックは解除された…。
通知は、さっきと同じLINEから…。
恐る恐る、アプリを開く。

 

差出人は…………、香織から。
喜びたい。そう逸る気持ちを抑え、メッセージを開く。
内容を知るまで、安堵することは出来ない。

 

恐る恐る、内容に目を向ける。
『優…。今、時間ある?』
『TEL☎』の文字で、最後。
TEL☎は、僕らだけの合図だ。

 

正直、現状ではどちらかわからない。
とりあえず、返信が来たことは喜ぶべきだろう。
返事が無いまま、終わる事だってあることだし、一歩前進ってところか。

 

とにかく、どっちに転ぶかはわからないが、電話をかけない事には、始まりはしない。

 

直ぐに「かけるよ。」と返信を送り、
既読と共に、「うん。」と返ってくる。

 

不安か、高揚か、どちらかわからない心臓の音を抑えつけ、通話ボタンに指を添えた。

 

ーーーーーー 5 ーーーーーー

 

不思議な呼び出し音が、始まった。
こんなにも、長く重苦しく感じたのは初めてだ。
いつもなら、待ち遠しくて仕方がない事なのに、今は、不安の方が大きい。

 

3コール目を告げる、その時。
香織の声が聞こえてきた。
少し泣いていたのだろうか、鼻声のようにも聞こえる声。
それでも、はっきり「もしもし…。」と、聞こえる声。

 

安堵して、少し笑ってしまった。
「何で、笑ってるのよ…。」って香織が言った。

「もう、ダメなんじゃないかって思ったから。」
正直に、僕は答えた。
「一生、連絡が取れないんじゃないかって、不安だったから。安心して、笑っちゃった。」

「優が悪いんだからね…。」香織は言った。
「わかってる。」今度は、笑わず答える。
「明日、時間あるかな?」
直ぐに、香織は「うん…。」と答えた。

「ありがとう、じゃ明日、いつもの場所に12時でも良い?」
少し考えて、「大丈夫。」と、香織が言った。

 

気付けば、時計の針は24時を指している。
「じゃ、また明日。」と、電話を終え、おやすみのLINEを入れる。

 

「ふぅー。」
不安に開放されたその顔に、笑みが浮かぶ。

 
彼女と出会った、あのカフェで。


飲めないくせに、無理して飲んだブラックコーヒー。


それから、ハマったコーヒーの味。


想い出詰まった、あの場所で。


明日、キチンと謝ろう。


そう心に決め、口づけたコーヒーは、すっかり冷めていた。


やっぱり、『かおり』が好きだ。

 

ーーーーーー END ーーーーーー
 
あとがき
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