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《アイ・ラブ・ユー.》

 今を生きる。その単純で、実に素晴らしいことを教えてくれたのは祖母だった。

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 今年93歳になった祖母。認知症の症状があらわれ始めたのは、ちょうど10年前だった。その頃は、待ち合わせ場所にいないと思ったら彼女が思い込んた場所にいたり、伝えたことを話の一部でなくごっそり忘れてしまったりしていた。そのうち、大得意だったお料理が手順がわからなくてできなくなり、日に何度も買いにいったコンビニの同じお弁当がダイニングテーブルにずらっと並ぶようになった。ヘルパーさんが来る日やデイサービスへ行く日に例のコンビニへの買い物に出かけてしまうようにもなった。ヘルパーさんやデイサービスのスタッフの方々、ケアマネージャーさんには何度もご心配やご迷惑をかけてしまい、今でも申し訳ないなと思っている。

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 ところが、当の本人は生き生きとしていた。好きなものをパクパク食べ、好きなだけグーグー寝て、人と会えばハイタッチに投げキッスをする。いつでも明るくふるまっていた。風邪もひかなくなった。認知症になる前の、鼻炎の薬が手放せず、帯状疱疹のあとを痛がり、悩み事をくよくよする彼女の姿をみることはすっかりなくなった。

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 もちろん認知症になったことで、辛いこともあるのだと思う。お料理、お裁縫、旅行、人付き合いと大好きだったことの多くができなくなってしまった。それでも、この頃の祖母はとても幸せそうだ。それもこれも、今を生きているからのように思う。以前できたことができなくなったと悲しんだり、これからのことを不安に感じたりしている様子は一切ない。

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 わたしが望遠鏡をのぞくように遠い未来の心配や、過去の後悔を引きずっているのとは対照的に、祖母は虫眼鏡を持っているかのように今だけをみているのだ。今口にしているご飯を味わって、目の前にいる人に「ありがとう」と言って、眠くなったらただ眠る。わたしのように考え事をしながらご飯を食べることも、お礼は後で言おうと横着することも、やることを終えてから寝ようと眠気を我慢することもない。

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 そんな祖母とこの一年半生活をともにしてきたせいか、その虫眼鏡で今をみることが、わたしにもじんわり染み付いてきた。秋のひつじ雲が綺麗と思ったら立ち止まって空を眺める。美味しいものを食べている時は「おいしい」と何度でも繰り返し、ありがたいと思ったらその場で感謝の気持ちを伝える。こうしたことを続けていたら、いつの間にか祖母同様、わたしも生き生きとしてきた。わたしの人生悪くないなと思えるようになっていた。

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 すべて彼女のおかげだなと思いながら、祖母の顔をみるたびに「アイラブユー。」と近頃のわたしは言う。なぜ英語なのかはわからない。ただ、どうしてもそれを「今」伝えたいのだ。

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