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「受刑者も一人の被害者である」


寮美千子さんの「空が青いから白をえらんだのです」


タイトルに惹かれて、購入した本。

本を読み終えてnoteに感想を書き残しておきたいという気持ちになったので、書いてみることにした。
読んでいて、とても心が苦しくなった。そして、詩を書くにあたって取り繕うのではなく、感じたままに綴る言葉は、「血の通った言葉」だった。
受刑者達の詩は、どんな詩人よりも言葉に芯があり、力を帯びていた。

「受刑者」と聞くと殺人・怖い・犯罪など凶暴で怖いイメージが強かったが、受刑者こそ、とても繊細で、優しく、ガラスのハートの持ち主であると感じた。

なぜ、刑務所に入らなければいけなかったのか。それは、幼少期からの家庭環境が大きく関係している。親からの虐待、受け入れてもらえる場がない、愛されずに育てられたなど。

ある意味「受刑者は、被害者でもある。」

幼い頃から自分を受け入れてもらえる経験がなく、自分の気持ちや想いを家族や友人、周りの人に閉ざしたまま歳をとってしまった子供。
小さい頃から、我慢をするようになり大人のフリをして自分を守っていたのかもしれない。

幼少期の記憶や経験が、その人を形成するのだと改めて思った。

「物語の教室」は、彼らにとって初めて自分を認めてくれるような場所。
自分の気持ちにみんなが耳を傾け、共感し、称賛してくれる。当たり前のようで、彼らにとっては当たり前ではなく大切な時間なのだ。自分を認めてくれる存在がいるだけで、どれだけ心強いか。
当たり前という前提で話すことも彼らにとっては、深い傷を負わせてしまうことになる。当たり前が当たり前に経験できていないからだ。

筆者は、本書の中で受刑者を「一度も耕されたことのない荒地」と表現している。確かにそうだ。自分に向き合い、認めてくれる経験のなかった彼らは、この時間を通してだんだん心を開くようになる。
ほんの少し鍬(くわ)を入れ、水をあげるだけで大きく変化する。ときには、花が咲き、実になることだってある。

この教室では、誰一人として否定的なことを言わずに、相手のいいところや共感できるところを探しては称賛する。これは、刑務所の先生方が彼らに対していい手本になっていたからだ。相手に教えるには、まずは自分が手本にならなければならない。刑務所の先生達は、ありのままの姿を受け入れ、伝えている。このような「場」を持たずに育った彼らには、大切なことである。

本書では、実際に用紙で書かれた詩は見ることができなかったが、それぞれ性格が現れた書き方をしていただろう。「字は人なり」
綺麗な詩を描いている彼ら達に、いつか会ってみたいと思った。

このような、犯罪者を「社会」が作っているのも事実である。
私たちは、もっと受刑者に対する歩み寄った理解が必要だ。

ぜひ、この本読んで「受刑者」に対する理解を少しでもしてもらえたらと思う。





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