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「ほうれん草を育てながら哲学してみた」第9話〜世界に対する第一印象を良くしてあげる〜

前回の記事で、「水をしょっちゅうやりすぎると根が張らずに弱くなる」というようなことを書いた。これについて、僕の友人であるA氏がコメントをくれた。

「私もこの春、農業ビギナーで苗からいろいろ育てました。ある程度になるまではけっこう水やって、なんとなくしっかりしてきたな、とカンで思ったら、水をやるのを減らして、元気がなさそうに見えたら、多めに水やりする感じにしました。そういう苗は元気に育った気がしました。本来は「育てる」というより「手入れ」みたいな考えのほうがいいなという実感でした(^^)」

A氏は僕のような軟弱プランター栽培ではなく(笑)、ちゃんと自分の畑で栽培をしている先達である。

A氏が語ってくれた、「しっかりするまではしっかり水をやって、しっかりしてきたら面倒を見すぎず『手入れ』にとどめる」という考え方。これは、人間の育て方にも通じる気がする。

勝手なイメージだが、この世界に生まれてきて、物心つくまでの間というのは、赤ん坊にとって、「世界に対する第一印象を育む期間」と言えるのではないだろうか。

そしてみなさんご存知のように、第一印象というのははけっこう後を引くものである。最初に「何かイヤだな」と思った人、場所、モノが、途中から好きになることはあまりない。

もちろんその印象が逆転することもあって、そういう時には、自分でもびっくりするくらい、その対象が好きになったりもする。このへんが第一印象の面白いところかもしれない。

とはいえ、第一印象は基本的にはいいに越したことはないだろう。赤ん坊が生まれてきた時に、この世界に対して「なんか快適な場所やわ〜」「なんか楽しい場所やわ〜」と感じることができたら、その後もそう思いながら生きていきやすいに違いない。

逆に、この世界に対する第一印象が、「なんか辛いわ〜」「なんか苦しいわ〜」というものだったら、その後ずっと「とっとと引退したい……」という気持ちを抱き続けることになるかもしれない。

でも一方で、世界に対して悪印象を持っていた人が、「いや、実は世界ってめっちゃええやん!めっちゃ楽しい場所やったんや!」となったら、これはめちゃくちゃ強い気がする。

しかもそういう人は、「悪印象から好印象へと転じるプロセス」を実際に経験しているわけだから、そのプロセスを経験として他人に伝えることができる。それは多くの人を救う力になると思う。僕はこれを勝手に「菩薩力」と呼んでいる(笑)。

「世界をよりよいものにしたい」という思いは、「この世界、このままじゃアカンやろ」という気持ちがどこかになければ、きっと生まれてこない。

もちろん、最初から「世界サイコー」と思っている人も、その天性の朗らかさで多くの人を救うことができるだろう。「世界ツライ……」と思っている人が「世界サイコー」と思っている人と出会って、「そうなん?なんで?」と思いつつ関わっている間に、「世界サイコー」の視点をいつの間にか身に付けている……というようなこともあるだろう。

個人的には、「世界サイコー」と「世界ツライ……」の両方の視点を常に持ち合わせていたいと思っているけれども、やっぱりツライよりは楽しい方が僕は好きだ。でもツライを知っている楽しさと、ツライを知らない楽しさは、その質が全く異なると思う。そこに人間の深みの違いが現れてくるのかもしれない。

ちなみにウチのほうれん草は、少ししっかりしてきた気がするので、もうほとんど放置プレーである。やっていることと言えば、朝と夕方にプランターを日当りのいい場所に移動させていることくらいである。僕自身が基本的に放置プレーで育てられてきたので、放置プレーで育てる方が得意なのかもしれない。

「スポーツ報知」という新聞があるが、これの前身は「報知新聞」だという。もしも「放置新聞」という世界の放置プレーを紹介する新聞があったら、僕は間違いなく定期購読するだろう。

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