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自分の考えは、常に間違っている可能性がある

「本を読む」というのは、よく考えてみると不思議な行為である。

読書の大切さを否定する人はあまりいないと思うが、じゃあ「読書だけの人生」があったとして、それを肯定することはできるだろうか。

文字通り万巻の書物を読み漁り、誰にも負けない知識と教養を得る。だがそれらを活かすことなく、一生をただただ「読書する」ことにだけ捧げる。

もちろんこれは極論で、そんな人生は実際にはあり得ないだろう。けれども、ひとつの思考実験として、ついついこういうことを考えたくなる。

ある尊敬する人にこの質問をしてみると、その人は「それでもいいんじゃないですか」というようなことをおっしゃった。「その人が読書そのものに楽しみを見出しているのなら、それをとことん追求すればいいじゃないか」というような意図として、僕はそのとき受け取った。

そうかもしれない。

そうじゃないかもしれない。

「読書は人生の目的たり得るか?」

こう言い直してみると、なんだかとてもナンセンスな問いに思えてくる。

そもそも人生に目的を設定すること自体がナンセンスで、「つまらない質問をしてしまったなぁ……」などと思ったり、思わなかったり。

いまの僕は「読書だけの人生」で納得できる気はしないけれど、それもまた一興、と思える日が来るのかもしれない。

ずっと本を読んでいるうちに、やがて「いやいや、こんなことばっかりしてたらあかんやろ」と思うのか、あるいは「まあ、こういうやつが人類に一人くらいいてもええやろ」と思うのか。

これまでの人生の中で、僕が読書によって得たものがあるとすれば、それは「自分の考えを疑う力」かもしれない。

誰かと話している時、「それはこうだろ!」と自信満々に言い放った次の瞬間、「ほんまにそうか?」と自分を疑い、自信を失っている。

それは、本を読むことによって、自分の世界の狭さ、自分の考えの浅さを、幾度となく思い知らされてきたからだろう。

これまで何の疑いもなく信じてきたことが、あっさりとひっくり返されることはあり得る。

自分の知っていることよりも、自分の知らないことの方が圧倒的に多い。というか、ほとんどのことを僕は知らない。

自分の考えは、常に間違っている可能性がある。

そう思えるのは、とても幸運なことだ。


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