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「いるべき場所にいること」(どんぐり同士の会話から)

去年(2023年)の秋ごろに拾ったどんぐり。

二つのプランターに植えてみたけど、いっこうに芽が出ない。

「やっぱりそううまくはいかんよなあ」と、そのまますっかり忘れていた。

ところが今年(2024年)の2月末に、プランターのひとつから、ピョコンと芽が出始めた。そうすると後は早いもので、いまでは15センチくらいにまで生長している。

だが、もうひとつのプランターのほうは、うんともすんとも言わない。なんだかんだでまだ寒いので、土から出るのを恐れているのかもしれない。

そこでふと、こんな話を思い出した。

「植物は、人間にはわからない仕方で、お互いにコミュニケーションをとっているらしい」

だとすれば、芽が出ていないプランターを、芽が出ているプランターの近くに置いてやれば、

「おーい、もう出ても大丈夫でっせー」
「そうなん?じゃあぼちぼち出てみるわー」

となるかもしれない。

お互いに少し離れた場所に置いていたので、まだ芽が出ていないほうのプランターを、芽が出ているプランターの近くに置いてやった。

するとどうだろう。

その2日後くらいには、思惑通りにピョコンと芽を出したのである。

「思惑通りかよ!」

あんまり思惑通りにいったので、ついついそのまんまのツッコミを入れてしまった。正直、ここまで思惑通りにいくのは、僕の思惑とは少し違った(どないやねん!)。

……という「思惑遊び」はこのへんにして、考えようによっては、そのプランターを置いた「場所」が、たまたま芽の出やすい環境だった、というだけのことかもしれない。

けれども僕としては、やっぱり植物同士が会話をしていて、「おーい、ぼちぼち出てこいやー!」「あ、もう出ても大丈夫なん?ほなオレも〜」となって出てきた、と思いたい。

どんぐりの発芽に限らず、人間だって、近くにそんな「先達」がいてくれれば、きっと新しい芽を出しやすいはずである。あるいは、そんな仲間がいれば。

「絶対不可能だ」と言われてきたことでも、ふいに誰かがそれを突破してしまえば、後はどんどんそれを突破する人が出てきたりする。

ちょっと違うかもしれないが、こんな話がある。

ある水泳の選抜チームでは、毎朝4時から練習をすることになっていた。

そこに入る前の選手は、誰もが「そんな練習を続けるのは無理だ」と思うらしい。僕だってそう思う(笑)。

ところが、そこに入ってしまえば、すぐにそれが「あたりまえ」になってしまい、脱落者はほとんど出ないという。

環境の力は、その人の常識を塗り替えてしまうほどに強い。その力は、良く働くこともあれば、悪く働くこともあるだろう。

たまには、自分のいまいる環境を、そういう視点で見つめ直してみるのもいいかもしれない。「いるべき場所にいること」以上に大切なことは、あまりないような気がする。

そういう意味では、広い公園から僕の家のプランターに引っ越しを余儀なくされてしまったどんぐりさんには、大変申し訳なく存じます……!


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