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忘れる

有名な、とても痛ましい事故で家族を一気に亡くした人が、「数年の時間が経って、本当にその家族たちがいたのか分からなくなるときがある」というようなことを話していた。

愛する家族を、しかも同時に、一瞬で失うなんて壮絶すぎて私には全く想像できない。
それでも、そんなお別れでも、人は忘れていく生き物なのだなあと感じた。

決して悲しみが無くなったわけでも、記憶がなくなってしまったわけでもないのだろうけど、ただその時は確かにそこにはいて、自分もその生活をしていたのは事実なのに、今となってはその時の感触というか感覚が、もうありありと、手に取るようには思い出せない、、、という感じなのかな。

その感覚は凄くわかる。
どんな気持ちも、思い返すことは出来ても、再現できないし当時と同じにはなれない。

愚かな私も、今まで離れた人たちやペットたちのこと、もうほとんど思い出せない。
いたのはわかる。写真を見れば、または見なくても、出来事自体は思い出す。
でも、ここに在る、いた、暮らしていたという感触を、感じることはどーしても出来ない。
なんていうか、すっごくリアルな夢を見ていて、それをずっと覚えてる……と言ったほうが近いかもしれない。

ついでに言うと、その時の自分がどうだったかももう今ではよく分からない。
確かに私は私なんだけど、その時の私と今の私は別の人間のように思えたりもする。ほんとに私JKだったの?結婚してたの?信じられん!みたいな。

みんなはそんなことないのかな。
私が薄情で一貫性がないやつってだけなのかな。
それとも、長いこと誰かと一緒にいたり、たくさんの時間をかけて何かをなしとげたり、そういったことを自分には出来なかったしやってこなかったから、そんなふうに思うのかな。

でも、そもそも、忘れるって悪いことなのかな。
いやなこと全部鮮明に覚えていたら、頭が狂って生きてゆけないだろうし、つらい記憶から自分を守るために記憶喪失になってしまうなんてこともあるくらいだから、忘れるっていうのは人間の大切な機能のひとつなんじゃないかな。

記憶はぼかされるからこそ美化されるわけだし、「今までの経験でむだなことは何ひとつなかった」などと思い込めるし、そうやって今の自分を肯定できるから、前を向いていけるのだろうなとも思う。
だから忘れることは自分を大切にすることだし、それがよく出来る(=忘れっぽい)てのは特技と言ってもいいんじゃなかろうか。

いつか歳をとって、頭がボケてしまったら、思い出どころか記憶も、自分も他人も何もかも忘れてしまうのかもしれない。
こうして考えてたことも、それ自体を忘れてしまうのかと思うと嫌だし、馬鹿みたいだし、例えぼんやりとでも「記憶」自体には残しておきたいなと今は思う。

とかごちゃごちゃ思う日々のことも、30年後にはどうでも良い記憶のひとつになってるんだろうな~。
そんなの虚無!ヤダヤダ!生きる意味すら失いそう!ってなるけど、そもそも意味なんてないし、きっと毎日こんなことを繰り返し繰り返し、記憶を、毎日を上書きして、少しずつ忘れて覚えて忘れて忘れて覚えて忘れて。を死ぬまでやっていくだけなんだろうな。

とかエラソーに言いながらも、忘れたい記憶にまだまだ苦しんでいる今日この頃。
この苦しみもあとからじゃ再現できない味なんだから、しっかり味わっとけ‼️男なら死ねい‼️と自分にムチを打って過ごしています。
でもこれも忘れてしまうのだろう。虚無──

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