何となく、 がきっかけでもいい。#19
何かを始めるきっかけって、些細でいいんだ。
そう気づけるようになってから、決断から行動がとても早くなった。
何より自分の中に一度は生まれたきっかけを、なかったことにはしたくない。
何かを始めるのに、歳を重ねれば重ねるほど、慎重になるのは確か。小学生の時と今の言動や行動を比べたら、どう考えても確実に今の方が腰が重い。
「若いうちに色々やっておいた方がいいよ〜」って、10代20代の皆さんは一度は言われたことがあるのではないか。私も、大学に入ったぐらいから耳にタコができるぐらい誰もが口にする。自分もそうなるのだろうか。というか、色々ってなんなんですか、大人の皆さん。
24歳の私には全然その気持ちがわからなく、曖昧な表現にモヤモヤするけれど。
多分、「色々」は海外旅行かもしれないし、恋愛かもしれないし、人によってそこは違うから、本当に「色々」なんだと思う。
だとしたら、その意味は?
24歳なりにその答えを考えてみた。
あれやこれやと考えた末、きっと、自分の心に灯った「きっかけ」を逃さないように、ということだったのではないか、と。
人は日々思考している。例えば会社までの通勤電車。目に入ったコーラの広告から、小学校の頃炭酸が苦手だったなあとか、コーラが出てきた漫画のシーンを思い浮かべたり、書いてあるキャッチコピーにまつわる自分の経験と重ね合わせたり。1つの対象から関係あることないこと考えて、頭は常にごちゃごちゃになっていく。でも、ごちゃごちゃになってしまっては、会社に辿り着けない。目的の駅を逃してはいけないから、無意識にも生産性のない思考は素早く排除されてしまう。
余計なこと考えてしまったな、今の自分には必要ないな、何で今こんなこと考えてたんだっけ。
一見どうしようもないと思える人の思考は、日々精査されていく。
でも、すぐに消えていきそうな思考こそキャッチして、一度思考する時間を取っていく。関係ない物事が浮かんだ時こそ、自分からの何かのメッセージなんだと思って。すぐ別のことに思考を移すのではなく、一度立ち止まってみる。何で今こう感じたんだろう。繋がりを見出してみてもいい。どうしても無理な時はスマホのメモにでも書き留めておく。
そんな些細な思考が、自分にとってチャンスなのかもしれない。
自分の仕事や経験について、始めようと思ったきっかけ、選んだきっかけ、大人になるにつれて聞かれるようになる。大体大学生ぐらいから聞かれ始めてきた。だんだんと、人に語れる筋の通ったきっかけがないといけないように感じてしまって、次に何かを始めようと思った時も、本当に自分が心からグッときたのか、なんていちいち考えてしまう。心からグッときたのか、なんて自分の思考を自分で探っている時点で、それは大したきっかけではない。
振り返ると、私もこれまでしてきたことのきっかけって、どれも明確な理由あってでもないし、絶対にこれだ!とビビッとくる感覚でもない。
なんか面白そうとか、可愛いからとか、案外どれも些細で抽象的。
子どもの頃なんて、まさにそうだ。
行動する意味なんて一切考えずに、目の前にある物事に心惹かれるか、惹かれないか、その2択で常に選択して行動していく。でも、大人になるまでにあれこれ失敗して、無意識に制限するうちに、直感の2択ではない複雑な考えが入り乱れていく。今はわからないけれど、きっと同じことが20代から30代に向けてもあるみたいだ。
だから、日々感じたことを、自分の心の声を、できるだけ多くキャッチしていく。日記やnoteに書いておいて。10年後の私が、どうしても直感を信用できなくなった時には、見返してほしい。その時の私よりは、今の私の方がまだ、自分の直感を信じれる人なはずだから。そこに自分が心から納得いく答えがあるかもしれない。
そんな思いで今も書いている。
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