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書けない時に思うこと〜徒然なるままに〜#28


毎日note30日チャレンジを始め、あと3日だというのに。

なんだか今日は書けないまま、夜の11時まで時計の針がまわってしまった。


毎日noteを始めた最初の方は、自分の中から出てくる思わぬ思考に感動していた。考えていれば、書き出してみれば、案外些細なことにも気づきはあるんだなあと。


でも、そうじゃない時も。書いているうちに、すごく当たり前のこと言っているよなあと思ったり。そもそも書いているうちに、全く出口が見えなくなって、何が言いたいのか分からなくなって。

バックスペースを押したり、下書きに葬ったり。


なんだけれど、振り返ってみると、言葉は稚拙かもしれないけれど、どのnoteも自分が本当に心から思うことだった。
量産型になってしまうかもしれない、と怯えていた毎日noteを始めたばかりの私。大丈夫だよ。


時間がなさすぎて想いを言葉にうまく乗せられなかったこともあるけど(今日もだな)、
何より私の書く目的は、その時の熱が10年後の私が見ても伝わったり何か気づきを得たりすることを書く。未来の私が何かで迷った時の道しるべになるような。過去の自分も今に繋がることが必ずあるから。


元々人に何かを伝えることが苦手で(話すことにおいては特に)、よく私が話している時に、人から「?」が浮かんでいる顔をよく目にする。咄嗟に言葉を出すのがなんか、苦手。人が周りにいると思考が停止することもあって。(巡りすぎていて言葉にできなくなったこともある)
ちょっと考えたら、ちょっと一人になってみたら、思いつくのに。


でも、今回の30日noteチャレンジを通して、「ちょっと考える」「ちょっと一人になる」の時間を毎日取れたことで、これまで生きてきた中で一番思考が可視化された1ヶ月だった。


何より、言葉と心が同時に動く1ヶ月だった。
思ったことに対して、心が動くことに対して、すぐ言葉にする。今までは、心ばかりが先にいって、人に伝えられなくて悔しくなったり。逆もあって、強がって言葉が先走ってしまったが故に、想いや行動が伴わなくなって自己嫌悪に陥ったり。
でも、この1ヶ月は心とともに言葉を紡いだ。それだけでもハッピーだった。やったね。


自分の中から思わぬ発見や考えが出てくることには、次第に慣れも覚えた。以前は何か出さなきゃ!と思って、日々の行き帰りの電車の中でもネタを考えていたりと意気込んでいたけれど、そうでなくても夜に初めて何書こうかから始まった時も、突然ふと思いついて書き進めていったこともある。30日を通して、リラックスして書けるようになってきたかも。
リラックスした時こそ、私らしく書けることにも気づいたから、30日チャレンジ中も特別なことはせず、いつも通りに過ごしていた。


そして終盤に差し掛かった今。

率直に今の気持ちを言うと、言いたいことはもうほとんど言いきった!って感覚。相当出しきった。
言葉にしたかったのにできなかったものもあるけれど、「今」じゃないのかもしれない。きっとまた日々の感情を言葉にしていったら、いつかnoteに書けるかもしれない。



めちゃくちゃ話が変わるのだけど、一昨日書いたnote。個人的に、多くの人に読んでほしいと思うことだった。言葉が拙くて伝わらないかもだけど。いつか言葉が追いついてほしい。



これまで母のGive精神の凄さは、ちゃんと言葉にしたことがなくて。けれど、毎日noteチャレンジのおかげで、書く機会になった。自分自身も心から書けてよかったと思えたnoteの1つ。


また、今日、母からあの清掃員さんと会って話をしたと聞いた。(詳しくは一昨日書いたnoteを)

いつもお世話になっている清掃員さんに、断捨離したものをブックオフで売ったところたった700円にしかならなかったそうだ。

母はたったそれだけの力にしかなれなかったことを悔やんでいたけれど、清掃員さんは「これで仕事終わりの缶ビールが買えて嬉しいです」と言っていたそう。

それも、自分だけじゃなく、同じく働く仲間の清掃員さんと2人分買って、一緒に飲むと言っていた。


今頃、あのおじさんは缶ビールを美味しく飲んでいるだろうか。
朝から晩まで長時間肉体労働をしている彼にとって、少しでも心安らぐ時間になれたらとても嬉しい。

私や母が軽い気持ちで買ったモノたちも、決して無駄じゃなかったのかも。



あまりにも書けなかったので、つい寄り道をしてしまいました。
いつもnoteを書く前、スプレッドシートに下書きするときはだいたいこんな感じ。なんの脈略も繋がりもなくても、思ったことを次々に書いていく。そんな頭の中をそのまま出したのが今日のnote。


明日は何を書こうかな。
それでは、おやすみなさい。

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