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そこそこの違和感を発信して間接的に伝えていく#18


相手は悪気はないのに偏見を持たれたなって思う経験はないだろうか。


自分がこれまでにマイノリティを感じてきた違和感なら、わんさか思い浮かぶ。でも、LGBTQや障がい者といったメディアやSDGsで取り上げられるような何千人(万人?)の方々が抱える大きな問題ではないけれど、些細なところで「もっと多様であればいいのに」が積み重なって、「多様性」の意義を実感していった。


・幸せの在り方が結婚か恋愛ばかりで判断される
→私としては、ご縁があれば結婚する。なければ結婚せずに生きる。結婚についてはその2択で捉えるだけ。とにかく私は好きなことに没頭する人生を歩みたい。こんなシンプルな考えなのに、え、普通じゃないの?

・女性は気が利く、男性は気が利かないというイメージ
→よくこういった偏見を耳にする。何が根拠なんだか。私は人に気を利かせるのが苦手だと感じるので、世の中的にそういう認識があるのだとしたら、女性であることを否定されているのかな?

・サードプレイスの話で人との距離が離れる
→学生の時の友人たちと近況を語るとき、大体キャリアスクールで学ぶのが楽しいだとか、コミュニティの人とイベント企画が楽しいだとか、そんな話をするのだけど、全く興味を持たれず会話が途切れる。自分のやりたいことを叶えるためにサードプレイスを活用するってそんなに異様なこと?

自分で選択していない環境からの偏見
→内部生だから○○とか言われることがあるけれど、自分がそのイメージに全く合致していないがためのモヤモヤ。内部生の中でマイノリティでいれて良かったと思うんだけれど、それはそれで葛藤もある。内部生は自分で選んだ選択肢でもないから、余計にもどかしい。


精神的に病んだとか、人生が望まない方向にいってしまったとか、どれもそんな大層なレベルではない。

まあこのぐらいいっかって思えるものばかりなんだけど、そんな違和感こそ、見逃さないようにする必要がある。


長い間見過ごしていると、常に正体がわからないモヤモヤによって、いつの間にか自分自身も否定してしまったり。私も子どもの頃から抱えてきた違和感が、ようやく今になって言語化して発信もする癖がついてから、今の自分も肯定できるようになって。

発信するとなると、ネガティブだけでは終わらせたくないと思う気持ちになる。モヤモヤを書き出したら、大抵そんな自分の決意を書く癖があるので、自然と前向きな捉え方も考える。考えたものは、実際の行動にも繋がる。


メディアで取り上げられる問題じゃないからこそ、境遇が一緒の人に出会えていなかったこともあるからこそ、そこそこな人のモヤモヤを救えるのは自分自身なんだよね。


自分は傷つけていないつもりでも、無意識に偏見を持ってしまうケースも同時にきっとあって。でも、それが何かは自分ではなかなか見つけるのが難しい。相手のことを全て知っているわけじゃないから。自分では気づかないからこそ言ってほしいと思うものの、誰にしても真っ向からは言いづらい。


直接伝えるのが無理なんだとしたら、こうやって間接的にでも発信していって、誰かの思う違和感が誰かをハッとさせて、一人一人の行動が意識が変わっていく。

私も絶対自分にしかわからないだろうなと思った違和感が誰かも共感できる内容だったり、誰かの感じる違和感に気をつけようと思えたり。

誰かに違和感を知ってもらえるだけで何か変わるかも、なんて期待できるだけでもちょっと心持ちが楽になる。


多様性理解の広がりは、こういう小さなところからもできるアクションだと信じている。そう思って、そこそこな自分としてこれからも発信していこう。

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