見出し画像

特定の職業従事者の犯罪を報道する意味(盗撮に個人情報流出…山梨で相次ぐ教員不祥事 県教委「非常事態だ」 朝日新聞 2月1日)

教員の不祥事の報道が、昔より圧倒的に多い。
昔(と言っても、40年前まで)は、それほど教員の不祥事は報道されてはいなかった。それは、昔の方が不祥事が少なかったからなのだろうか。もし、そうであれば、それこそ大きく報道されても良いようなものだ。
そういう比較ができるデータが手元にないので、昔と今の不祥事の件数を比べることはできないが、それにしても昨今、不祥事の報道が多すぎる。

教員という職業が、聖職だと言われていた時代であれば、教員の不祥事を徹底的に報道し、そんな教員は、追放だ!と民衆裁判をしても良いだろうが、昨今は、教員という職業は完全に聖職ではなくなって、一般の職業になってしまった。1990年以降の「不適格教員」のレッテル張りを契機にして、教員の社会的地位は下がり、聖職という意識もなくなり、一般の職業になっていった。

そんな状況で、教員の不祥事だけをあえて報道するマスコミは、一体何をしようとしているのだろうか。教員以外の職業の面々も、様々な不祥事をしているのに、容疑者の属性は、会社員とか、自称会社経営者とか、アルバイト店員とか、なんとあやふやな表現なのか。

それは、公的な職業ではないからだ。一般の職業だからだ。それに比べて、教員は、未だ不祥事の報道がされ続けている。教員は、既に、警官や裁判官や弁護士、そして、政治家のような公共的な職業ではないのだ。

もう、過剰な報道は止めた方が良い。
これ以上、社会的な制裁を教員集団が受ける必要はない。
しっかり、行政単位で対処すればよいのだ。そうしなければ、どんどん教員になる夢など持てなくなってしまう。それでなくても教員のなり手が少ないのだから。

【教育記事から教育を考える】
2022年2月11日(金) VOL.721
作者:中土井鉄信(教育コンサルタント・合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ代表)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?