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アルコールの発見者ラーゼス(アル・ラーズィー)の歯科保存学:歯科医療の歴史(アラビア医学①)

 ガレノスにより確立された古代ローマ医学は、東ローマ帝国で受け継がれるもキリスト教の影響でいろいろあって医学発展が止まってしまいます。そのため、医学の舞台は対抗する隣のペルシャ帝国へと移っていきます。あまり知られていないアラビア医学について概説します。(小野堅太郎)

 489年に異端キリスト教一派とされるネストリウス派のエデッサ(ギリシャ北部、マケドニア地域)にある学校が皇帝により閉鎖され、学校の哲学者と医者達は東ローマ帝国と対抗するペルシャ帝国(サーサーン朝)へと逃げだします。さらに、529年に非キリスト教的学校はローマではすべて閉鎖されることになり、アテネの学者たちも国外へと移ります。これらローマ帝国から追い出された科学は、現在のイラン西部にある「ジュンディーシャープール」という地に集まります。というのも、サーサーン朝では敵国東ローマ帝国からの逃亡者を広く受け入れていたからです。

 531年に即位したホスロー1世は、このジュンディーシャープールに亡命した学者たちを集めて学院を創設し、ガレノス医学を含む科学書物をペルシャ語に翻訳させます。さらに、インドと中国から医者を招き寄せ、インド医学や中国医学(薬草など)をも取り込みます。この地にて、宗教の影響を受けない自由な医学が新たに発展し始めるわけです。

 638年にサーサーン朝はイスラム帝国に敗れますが、ジュンディーシャープール学院はイスラム学院として数世紀存続します。832年にアッバース朝はバグダードに「知恵の館」を設立し、ジュンディーシャープールの学者たちがその教育に就きます。つまり、学問の地はバグダードに移るわけです。

 860年頃、アル・ラーズィー(ラテン語でラーゼスとして知られる)が現イラクのレイで生まれます。アルコールの発見者であり、精製して医療に応用しました。勉学を積んだバグダードと故郷レイの両地で外科医として活躍します。アル・ラーズィーの医学・科学への貢献に関する詳細は、既にnoteで素晴らしい記事があるので、そちらを参照ください(下にリンク)。アラビア医学において、ローマ同様、解剖はできななかったため、医学の発展といっても古代ローマ、インド、中国の医学を翻訳して融合させるということが主でした。アル・ラーズィーは経験豊富な外科医でしたので、実際の人体構造をたくさん目にします。その中で、正典となったガレノス医学における「4体液説」の間違いをいくつか指摘することになります。

 さて、アル・ラーズィーの歯科医療についてです。彼は、180冊以上の本を残したとされていますが、そのうちの一つ「アル・マンスールの書」の中で、正確な歯の解剖や下顎運動について書き残しています。

 虫歯に対しては、どんな薬剤を用いたかは知りませんが燻蒸消毒したらしいです。あと熱した油だそうです。たぶん、歯の中で暴れる虫をやっつけるためでしょう!次に重要なのは、紀元前のエジプト医学に始まり、これまで何度も出てきた「乳香(白い樹脂)」です。「乳香にて虫歯の穴を塞ぐ」と書かれています。現代歯科医学からみると、かなり大雑把な処置ですが、歯科保存学的に、ある程度は有効と思われます。

 グラグラする歯には収斂剤が効く、とも言っていたようです。収斂剤とは皮膚や粘膜のタンパク質を軽く変性させて引き締める(縮める?)作用を持つものです。ミョウバンなんかが知られています。アル・ラーズィーは錬金術師でもあり、硫酸の研究をしていました。関係しているかどうかわかりませんが、ミョウバンの形成には硫酸を混ぜますので、彼はミョウバンを収斂剤として使用したかもしれません。ただ、歯のグラグラは歯が埋まった骨がゆるくなっている状況ですので、収斂剤で歯茎を引き締めても、効果は「?」ではなかったかと思います。ただ、ミョウバンには鎮痛や抗菌作用があるようですので(作用機序不明)、「何もしないよりはよかった」と言えます。

 2世紀にガレノスにより、歯の痛みは「歯そのものと、歯茎に基づくものと2種類ある」と分類されています。要するに、「明らかな虫歯がないのに歯が痛いときは、歯ではなくその周囲部に病変がある」と考えていました。今でいう歯根膜炎だと思いますが、その対処として歯茎をぶすぶす刺したり(ヒー!)、定番のアヘン、その他にも薔薇油、ゴマ、ハチミツを使用したようです。最終手段として、抜歯です。この時にヒ素入りの軟膏を歯の周りに塗っています。現在は毒薬として有名なヒ素(亜ヒ酸)ですが、人にとって毒ならば、細菌など微生物にとっても毒ですので、抗生物質のない時代には薬として低濃度で使用されていました。

 インド・中国医学を取り入れたアラビア医学ですので、当然、口腔衛生も重視しています。既にケルススの書物に歯磨き粉の記述がありますので、歯磨きの励行が勧められています。面白いのは、すっぱい食べ物が歯に悪影響をもたらすとの記述があるようです。お酢でしょうか?持続的な酸への暴露は歯を溶かしますが、口の中では唾液が出てきて中和しますので、よっぽどの状況でないと歯が解けたりしないと思います。

 さて、このアラビア医学、ヨーロッパに拠点を移すことになっていきます。次回、そのきっかけとなった二人のアラブ系医師の歯科医療を紹介しようと思います。

 

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