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ネットコンテンツの価値観

 ネット配信型サブスク隆盛となり、月定額の安い料金を払えば音楽から映像から聴き放題見放題の今日この頃である。年末年始を皆さん、楽しんでおられるでしょうか。さて、こんな時代のネット情報の価値観について考えてみた。

 SNS教育活動と称してマナビ研究室を運営してそろそろ二年になろうとしている。どんなnote記事やYouTube動画が人気となるかは何となくわかってきた。同時に、人気にもいろんな種類があることがわかってきた。短期間にババっと閲覧されるものもあれば、何かの出来事で古いコンテンツが急に閲覧されることもあり、じわじわと継続して閲覧され続けるものもある。

 数年前に学生との飲み会で「初代ガンダムが好きです。」と言われて「はー、若いのに古いのが好きなんだね。子供の頃、TVで観てたよ。」と答えたが、その後インフルエンザで数日寝込んだのでネットで一話から最終話まで一気見した。めちゃくちゃ大人向けの深い話で面白かった。「子供の時はこんな深い演出、わからずに観てたなー」と感じた。なるほど、ネットでの古い映像コンテンツはこうして若い人達にも閲覧され、良い作品は受け継がれているのだ。

 ネットがない時代は、TVの再放送がその役割を果たしていた。ルパン3世はシリーズ1作目は、子供向けのアニメ作品全盛の中、大人向けのアニメとして挑戦的に放映されたが、人気がなくて監督の交代、そして打ち切り。その後、宮崎駿監督による優しいルパン3世が人気を博す。高校生となったある日、シリーズ1作目をたまたまTV再放送で観て、オープニングに痺れた。内容も面白い。映像演出も凄い。エンディングにも感動した。6話ぐらいまでは、本当に凄い。15年ぐらい前に、シリーズ1作目初期の原作に近いクールなルパン3世ブームが起こり、リミックス曲からOVAアニメなど多くのリスペクト作品が出された。現在から50年も前に放送された番組である。現在は、シリーズ6が放映されているらしい。

 エヴァンゲリオンは大学生の時に放映されたが、オタク層にはリアルタイムで衝撃的な作品だったが、全く世間では話題にはならなかった。しかし、時代はレンタルビデオが盛んであった。数年後、エヴァンゲリオンがレンタルビデオを通じて話題になる。今思えば、近所に何軒も小さなレンタルビデオ店があった。それは次第に、中型規模の店舗に統合され、TSUTAYAがやってきて大型になり、VHSからDVD、Blu-rayへ移行し、そして今はレンタル屋としてのTSUTAYAも見かけなくなった。今は、Netflix、Amazon primeで見放題である。

 音楽も似たような変化を辿ったが、映像より先行した。1995年以降のネットの広がりの中で、mp3による爆発的な非正規流通があり、iPod、iPhoneによるiTune統合により合法的流通にまとまった。データ量のはるかに多い映像はその後を追ったわけである。

 視聴閲覧に時間制限のあるラジオやTVは、基本、録音録画されて視聴閲覧されている。昔のmp3のようにYouTubeでは非正規の昔の映像作品が上がっており、いずれ正式なものが大量に映像配信サイトに合法的に公開されるようになるだろう。ラジオもTVも大量のコンテンツを保有しているので、経営が苦しくなれば、それらがネットに配信されるのは時間の問題である。

 さて、そんな世界を想像してみると、コンテンツに対する価値観が変わってくる。

 音楽のサブスクは、その音楽がどのくらい再生されダウンロードされたかで、各アーティストに収益が分配されている。作る側が初期投資して作品を完成させ、ネットに上げて無数の過去作品との競争を勝ち抜ければ収入を得ることができる。音楽作成はスマホアプリで作れてしまうので、アマチュアも容易に参入できる。

 我々視聴者側は、膨大な音楽コンテンツの中からプレイリストを作り、AIによるおススメから新旧好みの作品を追加していくことになる。そうすると、好きなアーティストという視点から好きな音楽、という「人から作品への重心転換」が起きてくる。曲は知ってるけど誰の歌かはわからない、ということが当たり前になってくる。

 それでは作る側は稼げないので、「人に受けるオリジナルな唯一無二の個性」を音楽に盛り込んで、曲を聴いただけで誰かわかる、ぐらいの特徴を確立しないといけない。しかし、それもまたすぐ誰かに模倣されてしまう。聞く方は、好きな曲なら誰でもいいのでコンテンツの価値はある程度平均化されてしまう。

 視聴者としてのネット音楽の価値は、多くの人たちに人気の作品である必要はなく、自分が好きであればなんでもOKということになる。古かろうが新しかろうが関係ない。Twitterで好みのコメントだけを閲覧して情報がタコツボ化しているという現象は、音楽や映像といったネットコンテンツにも当てはまるようになるだろう。そうなれば、各ネットコンテンツの視聴数や高評価はさほど意味を持たなくなる。CMだとか収益を考えるなら重要な要素だが、誰かの為になることを目的としたコンテンツなら、一定の層からの支持さえあれば十分である。

 無数の作品の海に揉まれて、すぐには良い作品が評価されないことになるだろうが、それは今でも同じ。むしろ、広告会社の宣伝で大して良くない作品に人が集まり、その作品は収益を上げても、ユーザーが去ってしまうという悪循環を引き起こしている。サブスク時代が進化すれば、ネットでの狭いコアなコミュニティで作品が評価され、良い作品が発表から10年も経ってヒットするなんてことも当たり前になるだろう。

 つまり、今の評価(収益)は気にしても仕方ない。やりたいことをずっと続けれていればいい、ということになる。サブスクは水道代や電気代みたいなもの。ネットコンテンツはプロだけでなく、アマチュアも大量に参加する。ネット情報として拡散されるかどうかが、収益を得るきっかけとなる。AIがもっと進化してくれれば、おススメ音楽・映像もより良いものが出てくるだろう。供給側と消費側の情報交換も活発になり、クラウドファンディングでの作品制作も増えてくると思われる。

 ユーザー支援による映画・ゲームだけではなく、ニュースなどの報道、教育といったものも出てくる。新聞代や授業料なんて、そもそもサブスクであったのである。教科書の電子化と講義のネット配信が第一関門である。そして、ネットではない実習とゼミの充実化が大学の売りになってくるだろう。さてさて、今後どうなるやら。

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