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エジプト文明での歯科:歯科医療の歴史(紀元前①)

 歯科医療は医学の歴史の中で数奇な運命をたどっており、しばしば医療の枠から外れてしまったがために、その後に偏見や管轄分野争いなど不要な闘争を経て、ようやく近代になって医療枠に戻ってきた経緯がある。紀元前からその歴史をたどってみよう。(小野堅太郎)

 はじめに大まかな医学の歴史的な流れを追ってみる。紀元前、古代文明であるエジプト、メソポタミア、中国、インダス文明においてそれぞれ発達する。勃興してきたギリシャにおいて、エジプトとメソポタミアから流入した医学がまじりあい、さらに通称アレキサンダー大王(アレキサンドロス3世)による東方遠征によりインド医学が混じりあう。紀元前の時点でインド医学はさらに中国医学へ取り込まれている。紀元後は、ギリシャ医学はローマ医学へと転じ、そのまま西洋医学となる。中国医学は平安時代に日本へ伝わり、「日本の医学」が始まることになる。一方で、メソポタミア文明の流れをくむアラビア医学はルネッサンス期に西洋医学へ大規模に取り込まれる。そして、日本では明治維新後に西洋医学への大転換が起きるのである。5000年ほどの歴史をざっと述べたが、医学の歴史を理解するうえで基本となるので、ご承知おきいただきたい。

 さて、5000年と書いたが、世界最古の医学書はエジプトから発見されている。いくつかあるエジプト医学書の1つにエーベルス・パピルスがある。エジプト学者・歴史小説家のゲオルグ・エーベルスが所有していたため、その名がつけられた。1874年にこのパピルスをテーベ(エジプト・ルクソール)で入手したとされる。語学の天才シャンポリオンによるロゼッタ・ストーンの解読が1822年ですので、エジプト古代文字ヒエログリフが読めるようになっています。紀元前1500年に書かれたもののようだが、さらに2000年前の写本ではないかと言われている。

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エーベルス・パピルス:世界最古の医学書

 このエーベルス・パピルスには877(875?)の対処法が書かれている。その中に歯磨き、歯痛・歯肉痛の薬物療法、動揺歯の固定、下顎骨脱臼の治療法が記載されている。

 歯痛にはヒヨスの灰と乳香(白い樹液)を使ったとある。ヒヨスとは西洋の薬草(ナス科)であり、硫酸アトロピン臭化水素酸スコポラミンの製造原料となるらしい。両方ともムスカリン受容体拮抗薬として現在でも使われている薬である。日本では同じナス科のチョウセンアサガオがその代わりになるかな(いずれ花岡青洲も書きます)。ムスカリン受容体拮抗薬が痛みにどのように関与するのかわかりませんが、ネット情報では知覚麻痺作用があるようです。ただ、灰になっていますので、効果は・・・。ヒヨスを焼くときに患者もそこにいるでしょうから、煙を吸引して、一時的に麻薬性鎮痛は起きたと思われます。その灰を乳香と混ぜて歯の上に置くらしいのですが、う窩(虫歯の穴)にもし詰めていたとすれば、雑なレジン充填みたいなものです。外部からの刺激が遮断されるされるため、歯痛にある程度有効であったと想像されます。

 エジプトの医療は司祭によって行われていました。それが専門化して、歯の司祭、目の司祭、頭の司祭、肛門の司祭となったようです。実際、紀元前5世紀のギリシャの歴史家ヘロドトスは、「エジプト医術は細分化し、1種類の病気のみを扱う専門家となるので、いたるところに医者が溢れている。」との記述を残しています。エジプト第三王朝(紀元前3000年)ジェセル王の侍医ヘサイヤ(ヘシレ)は「歯科および内科の長」でした。この頃は、以前紹介したエジプトのヘリオポリス神話のアトゥムは太陽神ラーと同一視されているはずです。エジプト王朝では毒殺されなければ皆さん長生きですので、ミイラの解析から庶民よりも高頻度で歯周病であったことがわかっていますので、王家にとってお口のトラブルは重要事項です。そのため、ヘサイヤのような歯科司祭が王に付いたと思われます。エジプト古代王家の彫像はふっくらしているものが多いですので、蜂蜜など糖質の高い食物などを摂取していたため虫歯もあったと考えらえらます。(ただし、この時代のパンには砂利が多かったらしく、ミイラの歯は著しく咬耗してう蝕はあまりないそうです。)歯磨きや口臭対策についても医学書に記載されていますので、口腔衛生にも興味があったことが窺われます。

 注目すべきは、エーベルス・パピルスに「記載されている治療法を行うのなら失敗しても罪に問われないが、この治療以外のことをやったら死刑に処す」との注意書きがあります。大規模な人間集団において、医療はきちっと法で定められなければいけないことを示す最古の資料ではないでしょうか。基本的には古代エジプト医学は「内科」を基本としており、一部「外科」という感じです。当時の歯科専門医は内科的治療(今でいう口腔内科)を行っていたと考えられます。抜歯などは歯科医はやっていないようです。一方で、遺跡から抜歯や歯根部排膿などの形跡が見られることから、歯科医ではない民間の誰かがやっていたようです。同じく、歯科技工物も遺跡から発掘されていますので、歯科補綴は医療ではなく、高い技術を持った歯科技工職人たちが行っていたのでしょう。

 ジェセル王側近の医師といえばもう一人、初めてのピラミッドの建築(サッカラの階段ピラミッド)にも携わったと言われるイムホテプですが、その話はいずれ機会があれば。

 次回は、メソポタミア文明での歯科についてです。


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