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私が日本に留学した理由(わけ):台湾留学生の日本体験記①

 小野の研究室に2021年4月から徐嘉鍵(シュウ ジャジェン)先生が新しい助教として就いてくれました。台湾出身で九州歯科大学に私費留学し、大学院へと進んだ経歴を持ちます。果たしてどんな先生なのか。自己紹介を兼ねて、経歴を記事にしてもらいました。(小野堅太郎)

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 来日して14年目(2021年)になりますが、本当に「光陰矢の如し」でした。台湾は日本の近隣国であり、親日国として知られています。よく両国間の文化や価値観が共通することが多いと言われていますが、意外にそうではないことを日本人の皆さんは知らないですよね。今回の記事は、日本という異国で経験した苦労話をお伝えしようと思います。

 実は祖母が日本人です。ただ、57歳の若さで他界したので、直接会って話したことはありません。祖母の故郷である日本についてもっと知りたいと思い、日本への留学を決意しました。

 2007年、台湾で家族とのお正月を過ごした直後に日本に向かいました。その日は、台北(台湾の首都)はカラッとした晴天でした。親元から離れて寂しい感情がある半分、これから新しい土地で新生活を始まるわくわく感もありました。過去に観光で何度も日本を訪れてはいましたが、本格的に生活を始めるとなると、いつもとは違う感じでした。

 飛行機の中では、今後どのようなめぐり合いがあり、どんな運命が待ってるのかとかいろんなことを想像し、期待感とうらはらに将来うまくいくかどうかの不安感がつのってきました。しかし、人生は一度しかないので、海外生活をじっくり体験するのは今しかないと思いなおしました。楽しくても苦しくても、人生は生きる限り挑戦し続けることもとても大切なことだと思います。

     日本では入国審査時審査官が黙々と作業して、迫力あるスタンプ音が響いていました。パスポートが返され、税関の荷物検査を受けると、検査官から「大きいトランクですね。なにが入ってますか?開けてください」「お土産は誰に送るのですか」といろいろな細かい質問を受けました。面倒くさいぁと思いましたが、逆に「こんな厳密な保安検査するぐらい日本は安全な国だ」と尊敬の念を抱きました。成田空港を出て、「さあこれから次段階の人生だ!」と次に踏み始めました。

 リムジンバスの乗車券を買った後、バス停に専属スタッフがいって、旅客の荷物に丁寧にシールを付けてくれました。東京のバスセンターでも専属のスタッフが荷物を下ろしてくれて、日本のおもてなしサービス精神に感心しました。当時、台湾では荷物の搬入・搬出は自分でやらないといけないことでした。

 東京に着いた後、夕食でラーメン屋さんに寄りました。塩ラーメンを注文しました。中身はチャ―シュー2枚で、トマトの切り身もあって、塩風味の匂いが漂ってきました。味はさっぱりとしていましたが、真冬の時期にとても暖かくて至福の時間でした。その後、東京の下宿に戻り、布団に飛び込んで眠りにつきました。

 つづく・・・。

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