見出し画像

児童養護施設における学習ボランティアの意義とは

こんにちは!杉本 愛です。
わたしは、現職の傍ら、お休みの日に児童養護施設・養育家庭での学習ボランティアをしています。

今回は、今春から参加させていただいている、児童養護施設の学習ボランティアについて知っていただけたら、と思い綴ってみます。


1. 児童養護施設とは? 

児童養護施設とは、何らかの事情で、親元で生活することができない子どもに生活の場を提供する施設のことです。

多くが民間で運営しているもので、他に各地方自治体で運営しているところもあります。

何らかの事情とは様々で、虐待、親の疾病や死亡、経済的事情などが多いです。

画像1

例えば、東京都内には約70か所の児童養護施設があります。
各施設によって場所も生活スケジュールも、できることも変わってきますから、どの施設に入所することになるかがその子の今後を左右すると言っても、過言ではないのです。

画像2


場所・・・都外の施設になると、進学する学校の選択肢は狭まってしまう。また、地域的な学校の荒れている・荒れていない問題も。

ボランティア・・・制度の整った施設では、学習ボランティア、行事ボランティア、習い事ボランティアなどを積極的に活用しているが、そこまで手の回らない施設も多い。

職員・・・職員が充足し、職員の心身が健康である施設では、子どもも職員にしっかりと目と手をかけてもらっていると感じることができたとしても、そうではない施設では、子どもが施設外に精神的なつながりの依存を求めて非行や異性交遊に流れてしまうこともある。

2. 学習ボランティアとは?

わたしがやらせていただいている学習ボランティアとは、定期的に子どもたちが生活している施設に訪れ、一緒に時間を過ごします。

基本的には、1人の子に1人のボランティアがつく1on1のかたちになります。

学習ボランティアという名前ですので、一緒に宿題をしたり、テスト勉強をしたりします。

しかしそれだけではなく、一緒にゲームをしたり、スポーツをしたり、カードや本で遊ぶこともあります。

対象のお子さんは、小学生から高校生まで様々で、現在わたしは、小学校高学年の子を担当しています。

3. なぜわたしは学習ボランティアを始めたのか

わたしがなぜ学習ボランティアを始めたのか。それは、わたし自身の体験にあります。

わたしは家庭的な事情の面で、自分の中で勝手に、生活環境にハンデだと感じることが小さい頃から多くありました。

・中学生まで母子家庭であったこと
・経済的に苦しかったこと
・家族、親族には高等教育に進んだ人がいなかったこと

など。まわりの子と比べては羨ましいなと思うことも多く、卑屈になっていたものです。

そのまま大きくなっていれば、きっと卑屈の塊になって、今ごろちゃんと仕事も続いていなかったかもしれません。

しかしわたしは幸いなことに、父との出会い、それによって広がった新しい家族・親族との出会い、転校、留学・・・
ちょっとしたきっかけで人とのつながりが広がり、価値観が大きく豊かになり、選択肢が増えていったのです。

わたしが感じていた卑屈な気持ちは、生活環境にハンデがある子どもたちに必ず訪れる壁であると感じていました。

子どもの時には自分の力ではどうしようもない生活環境の問題も、大きくなれば、自分の力で生きていなかければいけない時が必ずくる。

それまでに、どんな人との出会いがあったか。どんなに人に愛されて、愛したのか。どんな成功体験があったのか。

それによって、前向きに転換して捉えていけるのか、否定的になって負の方向に進んで行ってしまうのかが決まっていくと思ったのです。

良い出会いと、出会いに揉まれて自分の存在を認めていくことで、何かに向かって努力するやる気が湧くのです。

自分が努力を重ねるだけ成績が上がっていくという目に見える成功体験を通して、わたしはそれを子どもたちに体験していってほしいと思っていました。

4. ところが子どもはみんな勉強が嫌い。

家庭教師をした経験もあったので、わたしは子どもたちの成績を上げようとやる気まんまんでした。

しかし、小学生の子って、鉛筆を握って3分でお勉強に飽きちゃうんです。

勉強なんて大嫌い。ゲームしたい。遊びたい。

最初のうちは何とか集中力を持たせようと、「次のテストで良い点とったらきっとうれしいよ!」なんて励ましたものですが、子どもにとってテストなんてどーでも良かったりする。

それなら、思いっきり一緒に遊んでみるか!

わたしは、その日の宿題分だけを一緒にさっさと終わらせて、毎回の残り時間をめいっぱい一緒に遊ぶことにしました。

時には、その子が実況しながらゲームをしているのをただひたすら隣でコメントしながら傍観し、

時には真夏のエアコンなしの施設の廊下で剣道ごっこをし、

時には自転車で施設の周りを何十周もする過酷な運動に付き合い。

ゲームするなら、ひとりでさせてもいいんじゃない?ボランティアの意味ないんじゃない?と思われるかもしれません。

わたしも最初はそう思いました。

5. やっぱり子どもは、お父さんとお母さんと一緒にいたい

約1時間の交流時間が終わり、施設からわたしが帰る時間になると、「次はいつくる?」「次は○○して遊ぼうね!」と声をかけてくれる。

ある時、わたしが40度近い熱を出してしまい、これはさすがに行けないなーと当日にボランティアをキャンセルしてしまったことがありました。

次に行った時には、その子に言われたこと。

「次本当に来る?この前は、またくるねって言って来なかったかな〜」

その時、ドキッとしました。

いつもただこの子がゲームをしているのを観ているだけだったけれど、この子は楽しみにしていたんだ。

この子に、「大人が嘘をついた」と思わせてしまった。

施設の職員さんは、誰のものでもない。どんなに構ってほしくても、どんなにぎゅーってしてほしくても、自分だけのお母さんでも、お父さんでもない。だから、独り占めできない。

でも、学習ボランティアさんは違う。違う子がわたしに話しかけてくると、職員さんは、「杉本さんは●●ちゃんのボランティアさんじゃないよ。□□くんのボランティアさんだよ。」と言う。

週に1回、1時間だけでも、その時間は自分だけの相手をしてくれる。誰にも取られない。

おうちにいたらお母さん・お父さんと当たり前にできることかもしれないけれど、施設にいたら難しかったりする。

みんな、子どもは大人に甘えたい。遊んでほしい。構ってほしい。話を聞いてほしい。

職員さんだけでは足りないけれど、学習ボランティアとの交流を通して、子どもたちが満足する時間を過ごすことが、学習ボランティアの存在価値のひとつなのかもしれない。

6. これから、どうやって関わっていこう

とは言え、学校での学習に課題があるから学習ボランティアとして呼ばれていたりする。

今のところは宿題を終わらせるという作業(作業と学習は違う)を一緒にやるところまでは進んだものの、週1回の共同作業のみでは中々学習課題は解決しない。

「なんでこうなんだろう?」という探究心を、疑問に思うだけではなく、その疑問について自分なりに答えを出してみる、という繰り返しを、遊びを通して一緒に重ねていきたい。

その子の興味や関心を見つけて掬(すく)って、その子が自分で疑問を抱き、考え、「そうか、なるほど!」というひらめきを発見し、誰かに伝える。

この過程ができるようになれば、選択肢も、考えも、グーンと大きくなるんです。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?