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『「働きたくない」というあなたへ』を読んで

作者は山田ズーニーさん。ベネッセで進研ゼミの小論文編集を何年も担当したあと独立し、今はフリーランスとして文章関係で幅広く活動されている方だそうだ。

最近私がよんだ本は青山テルマ、田口ランディなど。こういう系統の名前に惹かれるらしい。(友人は田口ランディと関口メンディをかんちがいしてた)

読んだきっかけは、私が「会社にいきたくない」と思っているときちょうど新聞で紹介記事を見たことだった。しかし正直私は、ここで出てくるような「働きたくない人」にほぼ当てはまらなかった。会社に行くのが億劫なだけで、活動はした方が素敵な人生になると思っている。別に働きたくないわけじゃなかった。仕事人の両親をかっこいいと思っているし。

この本で述べられている「働きたくない人」とは、
・パートナーを見つけるために就職する
・玉の輿に乗りたい
・仕事はそこそこでいい
・楽に生きることが人生最大の目標

といった人のことだった。ちなみにこの「楽に生きたい」はこれまで恵まれてなんとなく生きてこれた・でもなんだか深い喪失感のある人がよく言うらしい。「早く死にたい」「助けてほしい」と同義だと著者は感じたそうだ。

以下、印象に残ったこと・考えたことを残しておきたい。

★印象に残ったこと

●仕事は社会と自分との「へその緒」。会社員なら会社が、フリーランスなら自分自身が、専業主婦なら家庭や地域がへその緒になる。
●人には「行く場所」と「帰る場所」が必要。用事のない暮らしは辛い。
→留学で心底感じた。ほんの小さい用事でも一日は照らされる
●本人と感情の乖離(なんとなく生きてしまう人の悲しみは、常に考え苦しんでいる人よりも実は深いかもしれない)p80
●日々、自分を満たしていくような行動をしていく人と、失いたくない、多くを守りたいと思いながら日々、気付かぬうちに「自分を損なう」行動をしている人がいる。(なんとなく自己表現せず、なんとなく遠慮して、あるいはなんとなく怖くて一歩引いてしまう。なんとなくおとなの言うことにしたがって、なんとなくみんなについていって、自己表現をひかえ、一歩引き、二歩引き、自分が引いていることにさえ無自覚に来てしまった人)(うん、ほぼ当てはまらないわね)

★考えたこと

●「自己実現」「自己中心的」「自分の意志」の違いは?p60
●幼い頃やらせてもらった祭りの屋台の店番は楽しかったのに、なぜバイトのレジは嫌だったのか?
→「なんちゃって」と「きちんと」の差。強制度合いの差?
●「自分はここに当てはまらない、ちゃんと考えている側の人間だ」と思い込む方向にしか考えがいかない。本もヒトも似た者が集まり、思考が凝り固まっていく感じがする。
→「自分こそ正義」という排他的な感情が生まれる
●「仕事は社会を回すための分業」「学生時代に反抗した・自分の意志を貫いた経験がある人ほど社会貢献心が強い」など書いてあったけれど、納得しかねる。
→たしかに分業だけれどその中心にはやはり自己実現があってほしい。それぞれの自己実現の結果として社会がうまく回っててほしい。自己実現は心の持ちようだってよ。
●私はいつか、森の中とかにも住んでみたい。ここでいう「働く」は、「暮らす」と同義なんだろう。資本主義の濃さは問わない。
●「楽しく生きたい」「楽に生きたい」と「ストレスフリーに生きたい」の違いは?
→私は卒論の目的を「ストレスフリーな暮らし方を模索すること」としていた。たぶん「楽しく・楽に生きたい」はストレスを与えるものがない状態で生きること。「ストレスフリーに生きたい」はストレスを与えるものがあっても、それをかわしたり味わったりしながら楽しむこと。と自分寄りに解釈。そんなにストレス感じながら生きてきたのか、ワタシ?たぶん卒研の結論から考えるに、私にとってのストレスは「急がなきゃいけないこと」。歩く速さからライフワークを決めるまで様々。

この本は『ほぼ日刊イトイ新聞』の連載「おとなの小論文教室。」を選択・加筆修正したもので、著者の意見と読者のコメントで構成されている。これらのコメントも、意見をフォローするものだけが選ばれているんでしょう、とひねくれ目線で見てしまった。ケチばかりつけてごめんなさい。イトイ新聞は好きです。

そもそも私が「働きたくない人」ではないと分かったので、珍しく読むのを中断します。在宅勤務のお供ありがとう。

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