見出し画像

幸せに生きるための自由研究と私と同居人

私には同居人がいる。

人に「関係は?」と聞かれると私は少し困る。
「彼氏♡」みたいなキラキラした時代は過ぎたように感じるし、結婚はしていないので「夫」ではないし、「パートナー」という言葉は使う相手を選ぶと思っているので使いにくい、でも「友達」や「親友」ともちょっと違う。
そして旧来の関係性を表す言葉が文化的にひっそりと持ってしまっている意味に囚われず、フラットに向き合っていたいと思っている。
だから、ドライに「同居人」と今の状態を関係性として伝えている。

そんな同居人のことを思い浮かべつつ大学院の講義を聞く日が来るとは思わなかった。そんな講義のレポートをまとめていく。

**********
武蔵野美術大学大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダーシップコース「クリエイティブリーダーシップ特論」の講義レポートです。
第7回 花まる学習会/高濱正伸さん (2021.05.24)
**********

幸せに生きるために

高濱さんのお話の要点は「幸せに生きるために、心に焦点をあてて(=”脳の芯”が感じることを通じて)世界を理解する」という点に尽きる。

高濱さんは、「やりたいことがやれておらず、やらされている」状態を不幸な状態と定義している。
そして、「やりたいと思ったことをやって内省・言語化を繰り替えす」ことでやりたいことを見つけ、実践することで幸せに生きるということを体現している。
今の世の中はランキングや偏差値等分かりやすい順番付けで評価される仕組みになっているが、個人としてそれに翻弄されている場合ではなく、「これが好き」が言えるのが一番大事だとおっしゃっていた。

やりたいことを見つける、「没頭」

そんな高濱さんも学生時代は哲学、麻雀、映画等様々なものに没頭して何が心を震わすかを探求してきたとのことだった。やりたいことは突然目の前に現れるわけではなく、没頭して探求するものなのだ。

何となくサラリーマンをやっていると日々の業務に忙殺され心が乾く。最近はちょっと潤っているが、没頭するという体験があまりない。

が、最近その瞬間に出くわした。
造形構想基盤演習・講義という授業のためにコマ撮りアニメを作って編集していたのだが「もっとこうしたい」というアイデアが浮かび、時間も一瞬で過ぎてしまって、寝不足になった。同居人からは珍しく「楽しそうにしてる」と感想を貰った。
没頭ってこれをさらに繰り返して突き詰めていくことなんだと思った。(教授からの評価は厳しかったが後悔はしていない(反省はしています))

やりたいことを仕事にするということ

様々な没頭を繰り返した高濱さんは「音楽か子供なら一生をかけられる」という結論にたどり着く。

そして、その「子供の前にいたい!子供の前にいられる仕事がいい」という気持ちを根っこに課題抽出を行った。
高濱さんは頭の良さの本質として「見えないものが見える力」を挙げる。
この力の有無で同じ社会を見た時に本質の見え具合が異なってくるにもかかわらず、子供たちのその力を伸ばす教育の場がない(例えば、「補助線を引いて解く」ことは教えるのに「補助線の見つけ方」は教えられていない)、という課題からの起業したのが高濱さんの仕事場、花まる学習会だ。
起業にはやりきる力が求められる。心に問いを立ててわくわくするポイントを分かった上で課題を設定し、作り、やりきる。そして、人を説得できる(お客さんを口説く)力が必要とのことだった。
こうしてやりたいことが仕事になっていくわけだが、途方もないことのように思えた。

自由研究が幸せな夫婦を作る?

どうしたら良い夫婦関係が築けるのか。コツはあるのか。
これは色々な夫婦の大きなテーマの1つでもあると思う。

私の話をすると、両親は私が小さい頃から日々喧嘩をしており母親が無駄に怒っていて「結婚ってただ面倒くさそう」と漠然と思っていた。子供が独り立ちしたタイミングで別居する母親の身の回りの女性を見ていて、さらに「やっぱ結婚って碌なもんじゃない」とも思っていた。
そして私も彼氏ができても1年続かない、みたいなことを繰り返しているタイプの人間だったのでますます関係を続けるコツのようなものについては、謎に包まれているように感じた。

高濱さんから提示された1つのコツが「自由研究をすること」だった。
相手をよく観察し、コミュニケーションを取り、それらについての内省を繰り返しながら勝手に研究を進めていく。

この数年を思い返すと、確かに、と思う節はある。(夫婦という括りではないが)私は同居人におそらく昔よりも観察されている。

「やりたいことを見つける、「没頭」」の箇所でも書いたが、動画を作っていると「楽しそうにしてる」と声をかけてくれる。これは普段から私を見ていないと分からないことだな、と思う。(私は人前に出ているときはテンション高めでいるようにしているが、家だと結構ぼけっとしている素の状態で暮らしている)
さらに最近は、仕事と大学院の課題であくせくとしていると、フラっと出かけてはいつのまにか帰宅する。そして私が好きそうな甘いものをあれやこれやと差し出してくる。私は地味にこれが嬉しかったりして、もう少し頑張ろう、となる。

私も逆に同居人の観察はしてきたつもりだ。
どういうときに楽しそうか、どういう素振りだと機嫌が悪いか、気に入る食事のおかずは何か、とかそんなことではある。
最近あまり満足に料理ができていなかったので、今日の晩御飯は少し時間を取って同居人が好きな茄子を焼き浸しにしたり色々と作った。

が、どちらかというとコミュニケーションを取る、という要素の方が大きいかもしれない。
何かと喧嘩をふっかけに行くのも「なんでなんで」と聞くのも私からだ。たまに面倒くさがられていると感じるときもあるがめげずに喋りに行く。

そうやってお互いを何らかの形で(無意識にでも)研究しているからこそ、数年にわたって同じ屋根の下で暮らしていられるのか、とちょっと納得した。

まとめ

仕事、夫婦、と書いてきたが、根本は「自由研究する力」を育てることが必要なのだと思う。(仕事の場合は、その力が課題発見につながるし、夫婦の場合は関係の改善につながる)

私は小学生の頃、自由研究が本当に苦手だった。勉強して習い事に行き読書をしている、言われたことをやっているだけの人間(成績は良かったので優等生に括られるだろう)だったので、フリーテーマで投げられるとどうしていいかわからなかった。間違ったらどうしよう、みたいなことを考えて夏休みがいつも憂鬱だったのを覚えている。

ようやくこの数年で分かってきたが、仕事や同居人との関係など正解のないものに立ち向かっているときは直線的に進むことなど有り得ない
トライ&エラー(ここが所謂「間違い」と認識して腰が引けてしまうしまう箇所)が必ず必要になってくる。エラーとなった時にあきらめずに次の打ち手を考えたりアプローチを考え直すことに慣れ、ようやく面白くなってきた。そうやって思考も関係も深まっていくのだと実感している。

以前のnoteの記事でも書いたが、とりあえずやってみて、そこから考えるということ、そして好奇心を燃やし続けることが大事なのかもしれない。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?