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”誰が言ったか”ではなく”何を言っているか”を考える

皆さんはどうやって情報を入手していますか?
日々のニュースアプリやSNS、新聞などはもちろんそうですが、日々膨大な情報を様々な媒体から得ていると思います。

では、その取り入れた情報をどのように判断しているか意識したことはあるでしょうか?どの情報を自分の生活に取り入れ、どの情報はいらないと判断しているでしょうか?

情報をインプットすることは非常に重要ですが、インプットした情報を自分の中でどのように処理するかも同じくらい重要です。情報があふれすぎている社会だからこそ、僕たちはその取り扱い方について深く考えていく必要があります。

情報を取捨選択する時代

まず情報を取り扱うにあたり最低限の認識として、

情報は得るものではなく選ぶもの

と考えることは大前提になってきます。

これは既に一般論になっているとは思いますが、未だに「情報を取る」と表現する方が少なからずいることも事実です。しかし、「情報を取る」ことなどデジタルネイティブに近い世代ほど日常の行為であり、大事なことはいかに“正確性の高い情報”をとるか、つまり「情報を選ぶ」ことです。

今回のメインテーマは「いかに情報を選ぶか」に焦点を当てているので、念のためこの大前提をはじめに書いておきます。


“誰が発信したか”が重要な時代

さて、ここからは「いかに情報を選ぶか」を軸に情報の扱い方を考えていきます。

皆さんは情報を選ぶときにまずは何を考えるでしょうか?
おそらく、“その情報が正しいかどうか”を最初に考える人が大半ではないでしょうか。

フェイクニュースを始めとして、現代には嘘か本当かわからない情報で溢れています。それはネット、本、人からの情報を含めた全ての情報がその対象です。なぜなら、今の時代において情報の出所を特定することは不可能に近いからです。

例えばTwitterの引用リツイートの機能などがすごくわかりやすい例です。
引用リツイートは元の情報源に自分の意見を付け加えて自分のフォロワーに情報を回しています。

これがTwitter上であれば情報源の話とその人の意見を見分けることができます。しかし、普段の会話の中でこれを見分けることができるでしょうか。
ある友達との会話の中で、その人自身の意見と記事を書いた人の意見を見極めることができるでしょうか。おそらくかなり難しいでしょう。

つまり、現代において情報は複雑な過程を経て自分に回ってくる一方で、その過程はブラックボックスとなり簡単に精査することができなくなっているという訳です。

その一方で、その過程を一つ一つ確認するのはあまりにも手間が多く効率が悪いです。だからこそ、膨大な情報を手間なく手に入れるために、

誰がその情報を発信しているか

を意識することが非常に重要になってくるのです。

ある情報について、その情報が発信される過程がわからないのであれば、信用できる情報の発信源に人は集まります。

例えば日々のニュースを確認するのに日経新聞より週刊誌を読むなんて人はほとんどいません。しかし、日経新聞と週刊誌の情報の発信過程を知っている人もほとんどいないと思います。にも関わらず、皆が日経新聞から情報を得るのは、今までの実績や評判を踏まえて”日経新聞”という主体の方が信用できるからです。

インフルエンサーも同じです。
皆さんもビジネス系の情報はこの人から、スポーツならこの人、ファッションならこの人、と言ったように情報を得るためのキュレーターを持っていると思います。彼らの情報発信の過程を全く知らないにも関わらず、“インフルエンサー”自身を信用して自分の情報に選んでいるのです。

※キュレーター:
元の意味は学術的な専門知識によって美術資料の収集や保管、展覧会の企画や構成、運営などを行う人です。今回は情報の収集から編集、発信までを行う人として捉えています。

説明が周りくどくなってしまいましたが、要するに

現代において個人で信用できる情報を選び取るには手間がかかりすぎるため、質の良い情報を発信していると信用できる媒体を見つけることが重要

ということです。

ただ、正直こんなこと多くの人がわかっていると思います。
しかし、これには隠れたリスクが存在します。


“誰が言ったか”よりも“何を言っているか”を考えなければならない

では一体何がリスクなのか?
それこそ今回のメインテーマです。

結論から書くと

自分で考える力が日々衰退していく

ということです。

言葉にすればものすごく簡単で当たり前です。
しかしこれこそ本当に大事な本質であり、多くの人が無意識の内にこの状態に陥っています。

まず理解すべきは、「情報発信には必ず何かしらの意図が含まれている」ということです。そしてそのほとんどが、「人を集めお金を稼ぐ」ということな訳です。

情報発信者のほぼ全てはその情報によって人を集めることが目的の一つになっています。決して慈善事業ではありません。となると、その情報は“より広く受け入れられるもの”になる傾向が高いです。

つまり、

“誰かが発信している情報”はあくまで多くの人に共通する情報

なのです。
別の表現をすれば

決して自分にピッタリ合った情報ではない

ということです。

となると、その情報を生かすためには自分で噛み砕いて理解しなければなりません。世の中に出ている情報は料理でいう材料であり、そこに切る・炒める・味付けするのように自分である程度加工しなければ取り込めないのです。

では、どうすればその加工が上手くなるのでしょうか。

その方法の一つが

情報の中身を自分で精査する

ということです。

前の章で発信された情報の過程を調べるのは手間だと書きましたが、だからと言って全てを発信者に任せていい訳ではありません。本当に必要だと思った情報は自分で裏付けをとって自分のものにすることが大切なのです。

この裏付けを取る作業をする人としない人では、明らかに物事の捉え方が変わってきます。

裏付けをろくに取らず人の情報を鵜呑みにする人は、物事を判断するときに“誰かの意見”“世間の価値観”を気にし、“その情報だけ”を脳に記録します。

一方で自分の情報として取り込んだ人は、“その情報を取り入れるに至った筋道”“自分の価値観”で物事を判断し、“その情報だけでなく他にも通じる本質まで”を脳に刻みこみます。

わかりやすいイメージで言うと

情報を鵜呑みにする人は、人の意見をただただ広げるコピー機であり
自分の情報にできる人は、コピー機にデータを送るパソコンのようなものです

コピー機は送られてきたデータを出力することしか出来ないので、個性もなければ新しい価値も生み出せません。一方パソコンは常に中身を書き換えることができ、コピー機のような周囲にも指示を出せる存在です。

コピー機タイプの人ほどおそらく無意識の内に誰かの意見に縛られています。「それ自分の価値観ではなくない?」と感じてしまう場面もあります。

そしてこのコピー人間にならないためにも

“誰が言ったか”ではなく“何を言っているか”に目を向けること

がとても重要なのです。

情報があふれているからこそある程度“誰が言っているか”を気にする必要はあります。しかし、情報を得ることの最大の目的は、「その情報を用いて自分の人生に活かす」ことです。

全ての情報を自分で判断するのは厳しいですが、せめて人生のコアとなるようなことに関しては“何を言っているか”を“自分の判断基準”で理解することで飛躍的に情報の取り扱いが上手くなります。

まとめ

さて、今回もまとめていきます。

① 情報は“取る”のではなく“選ぶ”時代
② 情報を手間なく選ぶには“誰が言ったか”を考える
③ 人生の中で情報を活かすには“何を言っているか”を自分で判断する

どんなものであれ、最初は真似ることから始まります。そう言った意味では、まずは誰か真似するべき目標を見つけ、その目標を徹底的にパクることも必要かもしれません。

しかし、長い視点で見れば誰かを真似し続けることはむしろ思考停止に繋がります。自分の人生の判断は自分にしかできないからこそ、自身の判断力を失うことは人生の大きな損失だと思います。

発信した媒体には目を向けず、どんな話であれまずは自分で考える。

これを意識するだけで、大きく物事の判断力がつき、情報を適切に取り扱うことができるはずです。


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