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「孤独」について、つらつら

「最近、よく見るな~。流行っているのかな?不思議」と思う言葉がある。「孤独」という言葉である。

実際、以前よりもよく使われているのだろうが、私の場合、自分の第六感めいたものが絡むことも多い。

本に”呼ばれる”

本が好きで、小学校に入学してから現在に至るまでの30年近く、図書館や書店に足を運び、書物に触れる生活をしているせいか、たまに「達人」になったかのような、不思議な体験をする。

「育児漫画目録」という、育児漫画の情報ブログを運営していた時は、図書館や書店で「よく分からないけど、あの辺りの雑誌を見た方が良いような気がする」とふと思い、素直にその本棚に立って本をめくると、育児漫画の紹介記事や特集がある…といったことがあった。何度も。

似たような話で、特に意識せずTwitterを使うのだけれど、育児漫画の単行本情報は8割9割、キャッチできる。フォローしていない、名前も知らない作家さんであっても、TLに勝手に情報が表れる。原因のひとつは、私がフォローしている人の多くが育児漫画ブロガーだからではあるが、気持ち悪く感じられるくらい、タイミングが良いのだ。

私は霊的な体験をした覚えもないし、霊感もない。こういう現象は正直、「気持ち悪い」と感じる性質(たち)だが、2015年頃から何度も起きている現象なので、ちょっとだけ慣れた。

世の中には「引き寄せの法則」を訴える書籍もあるし、ことわざに「石の上にも3年」とも言うが、アンテナを高くして生きるとそれなりのご褒美というか、神様のいたずらというか。効率良く情報とアクセスできる”何か”が起きるのだろう。英語で「 serendipity(セレンディピティ)」と呼ぶ現象も近いものかも知れないし、こういう体験を”霊感”と呼ぶ人もいるのかも知れない。

私は、人間がまだ解明出来てない、「気の法則」「知の法則」とでも言う力が働いているのだと考えている。大したことではないし、特別なことでもない。人間がまだ理解出来てない、そういう”自然”があるのだ。

父の死因は「孤独」だった

「孤独」という文字が気になり始めたのは、私の父が、兄もいる家の中で「孤独死を遂げた」体験がきっかけだと思う。この辺の詳しいことはこの記事に書いている。→「1年の間に母も父も死んでしまった

”孤独死”とは、誰にも気づかれないまま死んでしまい、死体が放置された状態を指す言葉のようだ。父の場合は、脳梗塞が起きて兄が連絡し、救急車で運ばれ、病院で兄に看取られ亡くなったので、正確には”孤独死”ではない。

でも私は、父の死因を”孤独”だと考えている。がんで闘病していた母が死んだ後、他の誰とも繋がることを欲しなくなった。生きることと向かいあえなくなった。兄をはじめとし、地域の人もご近所さんも、父に向って手を伸ばしたのに、その手をとらずだんだんと消極的になり、「積極的に1人ぼっちになった」ように思う。

母が死んで8か月経った頃、お盆に合わせて帰省したら、父は激変していた。ごはんをまともに食べない。筋力は衰え、座位を保つことも出来ず、トイレに行くのもやっとという状態で。声が枯れて耳も遠くなり、言葉もたどたどしかった。「老い」に人生のすべてを支配されたかのような姿だった。

私は父に、「私はお父さんが心配だよ、どうしたの?」と父の気持ちや状況を尋ねたが、父自身もよく分からないようだった。

「儂にもよくわからない。母さんが死んですぐは、〇〇(兄の名前)と一緒にがんばろうと話していたんだけど」「草刈りをしてた時に、お母さんを思い出して。それからかな…」

しわがれた声で、そんなことを話した。父と会話を交わした日から約1か月後に、父は死んだ。

他人の行動を変えられるとは思っていない。結局、人生は良くも悪くも、その人自身がハンドリングしているもので、他者が思いのままにはできないし、してはいけないとも思う。

でも、父の”孤独”を、予防できなかった、解決できなかったことに後悔を覚える私がいる。父の死因は”孤独”。老いではなく、孤独という病が、彼を蝕んだように思えてならない。

幡野広志さんのドキュメント

写真家で、がんであることを公表している、幡野広志さんという方がいる。

私の母もがんでなくなったので、シンパシーを感じ、Eテレのドキュメンタリーを録画して見た。

このドキュメンタリーの中で、幡野さんは「尊厳死」について語っていた。「安楽死」といった方が伝わりやすいだろうか。

母の看取りをしたとき、がんの痛みに苦しみながら眠っている母のそばで、兄と「これ以上苦しまないように、安楽死させてあげたいね」「今まで全く考えてこなかったけれど、安楽死という選択肢が欲しいね」と話した。

ドキュメンタリーを見て、「人の死は孤独だ。でも、その孤独(死)を自分でコントロールできる世の中にしたい。」そう思った。

『インターネット的』(糸井重里)

ドキュメンタリーを見た後、上述した私の第六感とでも言うものが、なぜか糸井さんの本を読むよう、勧めてくる。幡野さんのドキュメンタリーに糸井さんが登場したのがきっかけのように思うが、私自身は糸井さんにピンと来てはいない。

「どれを読めと??」などと第六感に悪態をつきつつ、図書館で『インターネット的』という文庫本を借りた。私自身が読みたいと思って借りた訳ではないので、パラパラと眺めてみた。

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何ページ目か忘れたが、「Only is not Lonly」という文字列が目に入ってきた。「ああ、これを読ませたかったのか」などと思った。

「Only is not Lonly」は糸井さんが「ほぼ日」の為に作ったというキャッチコピーで、小見出しになっていた。2000年頃発表したらしい。

<Only is not Lonelyについて>

「たしかに」と思った。孤独は寂しさとイコールではない。

1人は気楽だ。他人に期待しない人生は楽だ。孤独は別に悪いことではない。特別でもない。普通のこと。そんな風に考えた。

ロボットを見かける

テレビのニュースで「OriHime-D」という、ロボットが店員をするカフェの様子を見かけた。自民党の石破茂さんが嬉しそうに接客を受けている様子を見て、興味を覚えた。

その直後、TwitterのTLに「Nin-Nin」というロボットの動画が流れてきた。これはすごい、と思った。「ボディシェアリング」という考えにも共感した。

これまでも、例えば「エボルタくん」といったロボットを目にしてきたが、全く興味が湧かなかった。

「OriHime」や「Nin-Nin」といったロボットを見たとき、世の中が変わる気がした。

ゲーム的な表現になるが、父が抱えた”孤独”を、”孤独という病”を、防止できるフラグが立った。「母が死んだあと、父が天寿を全うできる」世界線が生まれたような気がした。

『サイボーグ時代』(吉藤オリィ)

興奮を覚えつつ、上述した2つのロボット開発吉藤オリィさんの本を買った。筆者のオリィさんと同年代や若い世代ではなく、ロボットに興味がない年長者ほど読むと良いと思う1冊。新しいけど受け入れやすく、読みやすい文章です。

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この本を読んだら、また「孤独」という文字が現れた。吉藤オリィさんは「孤独の解消」をミッションに掲げていて、過去に『「孤独」は消せる。』という本も出していた。

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「孤独のコントロール」と「孤独の解消」。言葉は異なるが、自分自身と近しいスピリットを感じた。

『孤独のすすめ』(五木寛之)

こないだの金曜日(2月22日)に書店に行ったら五木寛之さんの『孤独のすすめ』という本を見つけた。帯に「28万部突破」とある。売れているらしい。

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ちなみに、内容としては”孤独”の意味を掘り下げ、探求するといったものではない。帯にある言葉以上でも以下でもない。「孤独という自由」を肯定したうえで、これからの人生をどう捉えて生きるか?が書いてある。

全体に軽さがあって読みやすいのだが、五木さんが日本の未来に危機感をおぼえていることが伝わってくる文章だった。

五木さん自身の生死や孤独といった事象は諦観に達している感じだが、自分の死後に残る同年代の人々が不幸になってしまわないか。年長者が不幸になることで、若者も不幸になり、負の循環にならないか。

この本に書かれているのは、老人の戯言ではない。多分、五木さんは、自身が想像している「最悪のケース」を予言のように書くことを、明言を避けている。意識して悲壮感を減じ、明るい方に言い換えているように感じる。

希望のない暗い未来を創造しないように、出来るだけ明るくなるように、と願う、祈りのような本だと思った。

「孤独」という言葉は増えているのか

話は変わって。実際、孤独という言葉が増えているのか、Googleトレンドで調べてみた。2004年からの検索数だが、2012年1月にぐっと増えている。

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「孤独」という言葉の検索数が多いと、なんとなく不安な気持ちになりそうだが、真相は朗らかなものだ。2012年に『孤独のグルメ』ドラマ版が人気を得た。その後も定期的に、シーズン7まで制作されている。人気だから検索する人が多い。

「孤独死」といった言葉の検索も増えたようであるが、大半は『孤独のグルメ』である。

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『孤独のグルメ』(久住昌之、谷口ジロー)

私はこのマンガが好きで、ドラマ化前から読んでいる。記憶があいまいだが、多分、単行本が出た時期(1997年)に書店で立ち読みしたのだと思う。

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2000年代の2ちゃんねるでは、「ドラマ化するなら、五郎は長嶋一茂」といった案が出ていた。スレが立つくらいには人気だったと思う。

今はドラマ版の方が知られていて、ドラマを見た人が原作漫画を読む。ドラマから入った人にとって、五郎さんといえば松重豊さんである。

そのため、Amazonレビューを読むと「ドラマとイメージと違う」などと書かれてしまう。その通りでございます…。

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あの作品がなぜ、ドラマ化するまで人気が出なかったのか、知る人ぞ知る作品の状態のままだったか?は本当に謎で。不思議な感じである。

タイミングはあるよな、と思っていて。『孤独のグルメ』ドラマ人気がきっかけで「料理・グルメ漫画」は増えたが、実はドラマ化するちょっと前から、グルメ漫画の話題作は増えていた(『きのう何食べた?』『花のずぼら飯』『にがくてあまい』『お取り寄せ王子飯田好美』など)。

また、松重さんが起用されたのも、テレビ東京の低予算ドラマだったという側面があっただろうし、3.11を経て作り手が「エンターテインメント」を深く考える時期だったのも良かったのだろう。原作の絵面を忠実になぞるのではなく、原作のスピリットはあるが、ドラマとして楽しめる作品に仕上がっていたと思う。

2011年だったから生み出せたドラマであり、2012年に放映したからこれほどのヒットになったのだろう。

「オンリーロンリーグローリー」

ここ数日、「孤独」についてつらつら考えていて、「あ、そういえばこういう曲あったわ」と思い出したのがBUMP OF CHICKENの「オンリーロンリーグローリー」である。YouTubeにUPされていないので、CDを聞くしかないのだが、手元にない…。

私は2002年頃からBUMPのファンで、この曲も発売直後から聞いている。

タイトルは「オンリーロンリーグローリー」カタカナ表記である。「Only Lonely Glory」ではない。

私は「grow(成長する、育つ)」に「ly」を付けた「growly(グローリー)」という単語が存在し、「1人は淋しいけれど、成長できる」というメッセージソングだと思い込んでいた。今の今まで。

記事を書くために調べてみると、「growly」という単語は一応があるが、一般的な語句ではないようだ。

意味を調べると、「weblio」だと「しわがれた」。どうやら、声の状態を表す形容詞のようである。「英次郎」だと「〔動物の〕うなり声のような」。成長は全く関係ないようだが、「動物のうなり声」は、なんとなくBUMPっぽい感じがする。

歌詞に”光”"トロフィー"という言葉が出るので、「グローリー」の意味の1つは「glory(栄光、誉れ)」だとは思うのだが、BUMPの歌詞としては、それだけだとなんか物足りない。

なんとなくだけれど「growly」といった、あまり使わない、造語的なチュアンスも含めて「グローリー」とした気がする。タイトルをカタカナにしたのは、そういった多様な解釈、意味づけを狙ったのではなかろうか。

『百年の孤独』

今は焼酎の方が有名な気がするが、ガルシア・マルケスが書いた小説で、ノーベル賞を受賞している。

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何故か大学時代(2000年頃)に、「近現代の中国文化」を専門にしている、西野先生の授業で名前が出た作品である。作品名も作家名も覚えていたのに、どういった文脈で紹介されたか全く覚えておらず、何故か「中国人が書いた」と記憶違いをしていた。

タイトルも作者名も鮮明に覚えているのに、読む気はしないので読んでない。そもそも私は、翻訳本は読んでも頭に入りづらい。苦手なのだ。

私の第六感を信じるのであれば、この本を読む時が来た感じもする。新訳本も出てるし…。読む本山積みだけど、手を出してみようかな。

ただ、第六感は外れることもしばしばなので、読めないものも多いし、読んでも何も得るものがない時もあります。

まとめ

以上、つらつらと「孤独」について書きましたが、私自身は孤独は怖くないし淋しいとも思わない人です。「真の孤独」を知らないだけかも知れませんが、幼い頃から人と群れるのが嫌いで、群れずに生きてきたので、一人なのは「いつも」です。そこに後ろめたさも、誇りもない。

ただ、中学生の頃、英語を学んでいた時に、「miss」「missing」という単語の意味は素敵だなと思いました。「いない」という事実だけでなく、「いなくて淋しい」といった感情まで表現するなるのかと。そういった感情を抱ける人間になりたいと思いました。

「孤独」についてこれからも色々考えてみようかな、と思います。

長い文章を読んで下さり、ありがとうございます。

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