命は流れる
愛犬は今年で15歳になり眠る時間が長くなった。いつまでも活発に走り回っていた彼女ももうすっかりおばあちゃんで、柔らかな寝息を立てている。
大好きなおじの一周忌があった。おじはまだ若かった。体調がよくないのは知っていた。もっと会いに行けばよかったと何回も思ったし、これからもきっとずっと思いつづけるだろう。
1年ぶりに会う親戚の子供たちは少し大きくなり、流暢に話すようになった。子供たちは愛らしく場の空気を明るくする。まだ人生が始まって2か月の赤ちゃんも増えた。
父の故郷を訪ね、祖父母の住んだ家の周りを家族で歩いた。山は紅葉して、いたるところに柿が実り、菊の花が咲いていた。
父が子供で祖父母が親の時代
若い両親とともに祖父母の家に行った20余年前
白髪になった父に連れられて訪れた2019年のきのう。
私の細胞の一個一個は、私の父母から半分ずつもらったDNAから設計されている。あの赤ちゃんとも、何%か同じような血が流れている。
10年先も私の愛犬が生きていることはないだろうし、親に会えなくなるのは20年先かも30年先かもわからない。
時間が流れることが最近すごく切なくなってしまう。あらゆることが変わらずにいてほしいと、そんなことは無理なのに思ってしまう。
気が付けば令和という元号に慣れてしまったように、私は世界に適応して変わっていくことができるのだろう。
全てのものは変わりゆくということだけが、いつまでも変わらないこと。
その中で、私はいくつ大切なものを忘れずに覚えていられるだろう。
どれだけ、大切な存在に大切だよと伝えていけるだろう。
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