見出し画像

【掌編】道程

「道程」

草いきれには、あらかじめ土の匂いが含まれている。
土の栄養を蓄えるから、葉むらは土の匂いをさせるのだろうか。
背丈ほどに生い茂った名も知らぬ草の落とす翳は濃い。
葉むらに喰われるのが先か、翳に喰われるのが、先か。
目に痛いほどの青い空は歪でグロテスクな入道雲を浮かべ、陽射しは地上を歩く人の子に暴力的なまでに降り注ぐ。
汗は拭っても拭っても身体中から滴り落ちる。まるで身体ごと溶けてしまいそうだ。そのくせ、肉体は妙に生々しく煩わしく骨にまとわりつく。その肉体のさらに上、己の着けている白い開襟のシャツは、目を焼くように眩しい。
この道程が永遠に続くかと錯覚するような昼下がりの坂道を、男は唸りながらのぼってゆく。


墓参りに、きたのだった。
知らぬまに死んでいた、女の墓に。
これから行く女の墓前を思うと、発火しそうな身体の表面とは裏腹に、身体の芯が凍えて冷えてゆくようで、男は身震いした。悪い熱に侵されているかのようだ。


三十と一夜を超えたら、一緒に死のう、と約束した。
それを、俺は。




別に好いていたわけでもない。
ただ離れた地で、同じ時、同じ心で、同じことをする相手がいたら、自分は孤独ではないと感じられると、思った。
どうせ生きて帰ることができないのなら、せめて孤独に死にたくはなかった。



三十と一夜。
超えたその日に、男は戦場にいた。
折しも敵襲を受け、弾丸の雨のなか死にものぐるいで逃げ回っていた。
行く手を阻む敵兵を無惨にも殺した。
ただ、己の生存本能のまま。


死への圧倒的な、恐怖。
物言わぬ肉塊となった戦友。
降りしきる雨と土、そして鉄の匂い。
死のう、とはどうしても思えなかった。
むしろいまこの、弾丸も爆弾も飛んでこないこの灼熱の道程においては、肉体すら煩わしいような気さえもする。
あの戦場で、ただただ死を避けて走り続けていた時、男の魂と肉体は境目がなかった。





長い長い戦争が終わり、男がようやく女の消息を求めた時、女は死んでから7年が経っていた。
あっさりと、女は死んだのだった。あの、三十と一夜を超えた日に。




女の墓は濃緑の木陰にひんやりと立っていた。
真四角な墓石の角は鈍く光り、それでいて流れる水のようにただ、そこに在った。
気持ちよさそうだ、と男は思った。
美しい墓石に男は頬を寄せ、その両のかいなに抱き込んだ。滑らかな墓石はしっとりと濡れたようで、この長く苦しい道程に火照った男の身体をさましてゆく。



死とはこの様に甘美なものなのか。
そこで君は憩うているのか。
他に好いた男のいた君よ。
俺が孤独に死なせた君よ。





そうして男は、滑らかなその石がぬくもるまで、覆い被さるようにしてじっとしていた。
と、その右腕に、小さな黒い蟻が這っていた。非力で哀れなその黒き虫は、何を思ったか、死体の様に動かない男の右腕をちくりと噛んだ。
男の右腕がピクリと痙攣した。反射的に男はその蟻を左手で乱暴にはらった。はらった拍子にその虫は神の如き乱暴な腕に、無惨にも擦り潰されてしまったのだ。




男は茫然とした。
なんてことはないのだ。
生と死の違いなど。
君と、俺との、隔たりは。
坂道で感じた様な悪寒がまたぶり返し、男は身震いした。
やがて男はふらふらと立ち上がり、美しい滑らかなその墓石に、背を向けた。
地獄の様な坂道をまた戻ってゆく。
さながら餓鬼の足取りで。





乱暴な神の腕で男自身が擦り潰されるその日まで、男は二度と墓の前には戻らなかった。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

来週舞台に出演します。

ミュージカルグループMono-Musica
 独白劇×ミュージカル
『パノプティコンの女王蜂』再演版
影法師ウルド/蛇女役にて出演

【日程】6/22(木)-6/25(日)
【会場】新中野ワニズホール

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
[Profile]

マナ

パフォーマンスユニット"arma"(アルマ)主宰。朗読とダンスが融合した自主企画公演を上演している。ミュージカルグループMono-Musica副代表。キャストとして出演を重ねている他、振付も手掛ける。
ここには掌編小説の習作を置く。
お気に召さずばただ夢を見たと思ってお許しを。


#小説
#短編小説
#ショートショート

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?