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アイコの思い出

以前、わたしが住んでいたマンションの隣に、すごいボロアパートが建っていました。

そこの1階には、近所でも有名なある家族が住んでいました。

お父さんは日本人、お母さんはフィリピン人。

2人とも身長が150センチ程度のわたしと変わらず、しかし胴回りは3倍くらいありそうな似た者カップルでした。

そんな2人の子どもはなんと、9人。

11人もいる!!

まさにダイナミックパパ。

当時わたしたちが住んでいた2DKのマンションよりさらにせまい古いアパートの一室に、11人家族の彼らはいったいどうやって暮らしているのだろうと不思議でした。

ダイナミックパパは土木関係の仕事をしているようで、毎晩夜遅くに同じような作業員の人たちを満杯に乗せた送迎の車から降りてくるのをよく目撃しました。

フィリピン人のダイナミックママのほうは当たり前ですが9人の子育てに奔走しており、仕事に出ている様子はありませんでした。

だいたい朝は子どもたちを叱るダイナミックパパの怒号から始まります。

エアコンもない部屋なのか、冬以外は(いや冬でも)ほとんどベランダが全開放されており、ダイナミックパパのこれ以上しゃがれることはないというくらいに限界まで酒焼けした罵声が近所中に鳴り響き、朝の爽やかな空気を台無しにしていました。

たまに虐待スレスレじゃないかと思うような叫び声が聞こえたりして緊張感が走るのですが、たいてい叫んでるのはダイナミックパパだけで、子どもたちは怒られてる最中でもアパートに面した細い車道で自由に遊んでおり、わりと平気な顔をしていてたくましかったです。

その細い通りを100mくらい進むと小さなスーパーマーケットがあり、その頃まだ事務職の仕事をしていたわたしはよくそのスーパーに保育園帰りの息子を連れて夕飯の買い物に行ってました。

当然、ダイナミックママとその子どもたちにも高い確率で遭遇しました。

だいたい彼らはスーパーのなかでも大騒ぎで、ダイナミックパパに負けるとも劣らないダイナミックママの罵声が店中に響き渡っていましたが、わたしや他の客、スーパーの店員さんもすっかり慣れてしまったのか特に誰も注意する人などおらず、いつもの光景として定着していました。

あるときその細い通りを歩いていたら後ろからガラガラとかなりけたたましい車輪の音が聞こえてきたので振り返ると、ダイナミックママが子どもたちを連れて例のスーパーのカートをそのまま押して家まで帰ってきてる最中でした。

唖然とするわたしと軽く目を合わせつつもダイナミックママはそのままガラガラとすごい音を立てながら横を素通りし、子どもたちとカートごとアパートの中に消えていきました。

自由な生き方してるな・・・と思いましたが、なぜかあまり不快感みたいなものは感じられず、憎めない人たちでした。

9人の子どもたちは一番上が小学校高学年くらい、下は赤ちゃんまで男女均等にいました。

ダイナミックパパの怒号をものともしないほどのエネルギーに満ち満ちている彼らがせまいアパートのなかでおとなしくできるわけもなく、たいてい外の道路で遊んでいました。

本当に気の毒だったのはそのアパートのお向かいにある一軒家で、車庫から塀の上までダイナミックキッズたちが入り込んでは大騒ぎで遊んでいました。

うわあ・・・と思って見ていたのですが、そこの御宅のご婦人はそういう風景を認識しつつも子どもたちを追い出したりせず、いつも好きなように遊ばせていて、忍耐強い方でした。

さて、その兄弟たちのなかに、小学校低学年くらいのひとりの女の子がいました。

当時わたしたちは引っ越してきたばかりでしたが、毎日アパートの前で激しく遊んでるダイナミックキッズのなかで、なぜか彼女だけはその前を行き来するわたしたちに興味津々で、わたしが息子と歩いているといつも兄弟の遊びの集団から離れて、こっちをじっと見てはニタニタ笑ってくるのでした。

一ヶ月もした頃、その日もいつも通り息子を連れて歩いていると、彼女はついに我慢できなくなったのか、サッと歩道に近寄ってきて、

「ねえ、その子、かわいいね!!名前なに?」

と話しかけてきました。

息子の名前を伝えてから、あなたのお名前は?とわたしが聞き返すと、彼女はうれしそうに、

「アイコ!!」

と大きな声で教えてくれました。

そしてマンションに入るわたしたちにいつまでも手を振っていました。

それからアイコはわたしたちを見るたび、朝も夕方も駆け寄ってきては息子の頭をなでたり、わたしに「ねえ、なにしてるの?!」と話しかけてきたりしました。

アイコはとても人懐こい子どもでした。

アイコはほぼ毎日わたしたちを待ち構えており、わたしたちが自分たちのアパートの前を通り過ぎる数秒のあいだ、必ず声をかけてきました。

彼女はとても可愛かったです。

ただ、その奥にあるのはさみしさであり、愛情に飢えてる子どものような感じがしました。

アイコがわたしたちのあとをついてくるたびに、わたしはアイコの家を想像しました。

ボロアパートの一階に11人で住むくらいだから、ダイナミックパパの家は、どう見ても裕福な家庭ではなかったと思います。

ダイナミックパパの朝から晩まで響く怒号、その内容から考えて、彼はあまり知性が高いとは思えませんでした。

それは彼の性格とか育った環境以前に、もしかしたら彼はごく軽微な知的障害とか多動とか、なにかそういう先天的なものでもあるのかもしれません。

そんな彼なりになんとか大人になり、土木作業員という仕事に就き、そしてどこかのフィリピンパブで、はじめて自分を愛してくれる女性に出会ったのかもしれません。

おそらく幼少期からコンプレックスのかたまりだった彼は、自らの経済力や包容力など度外視して彼女と無我夢中で愛し合った結果、気がついたら11人もいる!!という状態になっていたのかもしれません。

わたしたち夫婦ですらたった1人の我が子に父性と母性を正常に提供できてるか日々反省の毎日ですが、子どもが9人もいたら、その子たち1人ひとりを精神的にも物質的にも安定して育てるのは相当至難の業です。

そんな環境に生まれたアイコが、親からじゅうぶんに愛情や信頼を向けてもらえるはずもなく、またもしかしたら彼女は他の兄弟より人から関心を得たい気持ちが強い性格だったのかもしれず、それで毎日家の前を通るわたしに興味を持ったのかもしれません。

アイコが毎日わたしたちを待ち構えているのは、親から構ってもらえないぶん誰かに愛してほしいからなんだろう、と思いました。

そしてわたしは昔からよく、そういう渇愛行動をする人のターゲットになりやすいところがあります。

渇愛行動をする人はみんな、同じ波動を出します、非科学極まりない言葉で申し訳ないですが、ほんとに波動としか言いようがない共通の雰囲気を必ず出してきて、そしてそういう人々とお人好しで関わってくる中で当然わたし自身も大変な目に遭うという体験をくり返してきてるので、自衛本能からもそういう人を見分ける感覚が身についてるわけです。

アイコは典型的な愛に飢えている子どもでした。

だから愛子っていうのかな、とふと思いました。

そんな彼女は次第にうちのマンションのセキュリティもこえて、わたしたちの部屋のドアの前までついてくるようになりました。

明らかに入りたそうな素ぶりでしたが、息子もまだ小さくてアイコと一緒に遊ぶ感じでもなかったし、それ以前に一度でも家に上げるとそのあとアイコがうちに入り浸りになる様子がありありと想像できました。

渇愛行動の人に関わるのは、覚悟がいります。関わった時点でこちらにも責任が生じるとも言えます。

個人的にはたしかにアイコは可愛かったし、好きだなとも思いました、でも、アイコとの距離感は、考えなくてはいけない。

そうと思ったわたしはいつも、アイコを玄関のなかにまで入れることはせず、「またね」とやさしく言ってドアを閉めていました。

続く

#日記 #エッセイ #家族 #政治 #人間関係  




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