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「失礼」という概念は虚構なのかも

今日、新居のペンキ塗りをしていた。

私は家事情に詳しくないので、詳しい夫に聞いたところ
「最低でも2〜3回塗り重ねるよ」と。

なので、4回塗った。

一応夫にも確認をお願いしたところ、
ベッドでゴロゴロしながら
「5回は塗り直さないとダメだよ」と。

意見が変わるのはよくある。

彼はややアスペルガー気味だったり、反対意見をしたがる人なので
こういうのは慣れてる。

ただ、私が2日かけて、空調もない暑い中、
疲労困憊でやっと塗り終えたのを

涼しい家の中、3時間昼寝して
おなか出してスマホ見ながらそれを言われたので、
イラっとしてしまった。


「じゃあ昨日そう言えよ」とか
「そのクソみたいな態度を直せ」とか
怒鳴り散らしたかったけれど

怒鳴る理由がなかったので、
私は黙々と5回目の塗り重ねをおこなった。


私がイラっとした理由は、
予想外にペンキ塗りから解放されなかったことと、
彼の態度に対し「エラそうに」「失礼だ」と思ったから。

ペンキ塗りが続くのは、しょうがない。
やれば終わる。

彼の態度に関しても、
その「エラそう」や「失礼」も
あくまで私の基準で、
アメリカ人の夫の基準ではないから。

ふつふつと沸くイラ立ちは
ポッドキャストを聴きながら作業することで、忘れた。


「何だその態度は!」

日本で、大人は突然怒鳴った。

両親、先生、先輩、知らない人たち。

子どもに悪気がなくても、社会で「失礼」とされること、
もしくは単純に彼らの気に食わないことがあると、

「怒り」と「大声」で

子どもに圧を掛け、「悪いことをした」と罪悪感を持たせる。
支配的になる。


その苛立ちを子どもに説明できないから、
「怒鳴る」という形で、自分の苛立ちを表現し
正当防衛のように、子どもを制裁する。

多分、自分がそうされてきたんでしょう。


何が失礼で、何がエラそうなのか、そうじゃないのか
そもそも、それは本当にそうなのか
その認識は、誰が決めたのか。


刷り込まれた「失礼」の基準に
実態はないのだと、
国外に住んで感じた。


日本の話をすると、時々夫から
「日本は何でも失礼なんだね。じゃあ何が失礼じゃないの?」
と聞かれた。

知らない。
人それぞれだ。

悪意がなくても、
年代ごとの価値観だったり、
その人のトラウマに引っ掛かる言葉だったりで
捉え方は変わる。

それなら「失礼」とか「エラそう」という概念自体が、
そして、それに過敏に反応する価値観が、

それらがなくなれば、
もっと穏やかに過ごせる人が増えるのかなと
思ったりする今日だった。


追記:ペンキは無事5回塗り終わり、
他の部屋の掃除もしていたら
夫が申し訳なさそうに
「ペンキ綺麗に塗れてたね。ありがとう」
と言ってくれて、仲直りしました。

(「5回塗らないとダメだよ」と言われた時、
「じゃあ昨日5回って言って欲しかった」と言ったら
「ごめん」とスマホを見ながら悪びれもなく謝ったので、
「スマホに謝ってんじゃねぇ。こっちの目見て言え」と
イラ立ちは表していたので、
それで何か思うことがあったのかもしれない。)



izuming0821さん、素敵な写真のシェアありがとうございます。


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