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早いもので、27歳になりました。

仏門へ入ると決めた20歳。
布教使になると決め、初めて法座へ立たせて頂いたのは23歳。

あれからもう4年も経つのですね。

そりゃあ、ほうれい線も気になりますわ。

『妙晶さん』という呼ばれ方もだいぶ馴染み、これまでの歩みの芽生えをじんわり感じるこの頃です。

思い返せば、私の選んだ僧侶の道は誰からも喜ばれないものだった。

後継でもなければ必要も無い。
食べていけるかも分からない道。

「家業に逃げた」

大学を辞めて仏門へ飛び込んだ私に、人はそんな声を投げつけた。

業界に入れば志同じく在れる人に出遇えると期待したものの、現実は辛く虚しかった。

受け入れきれない物事の応酬に自身の選択を疑うこともあったけれど、しかし幸か不幸か、覆すことは出来なかった。

「みんな君のことを迷惑がってるよ」
「他の仕事の方が向いてるでしょ」

そんなことを何度も言われ、他の道へ行くことを真剣に考えた。

けれど、それはもう無理だった。

別の道を選ぼうとした瞬間に、僧侶として立った時の喜び別の道に居る違和感が呼び起こされ、動くことが出来なくなっていた。

「あぁ、自分はもうこの道しか歩めないんだ」

その結論を得たとき、いろんなことへ諦めがついた。

誰にも求められていない、どころか迷惑すら及ぼしている現状だけれど、それでも私にはこの道しか無いのだから、艱難辛苦を甘んじて受け止めよう。

そう覚悟を決めた瞬間に、向かうべき先が拓けた気がした。

しかし、だからといって歩みが楽になることはなかった。

布教先を切り拓こうと異業種含め様々なところへ赴くも「無駄だ」と笑われ、馬鹿にされ続けた。

しかし、自分の中では確かな道とその先が見えていたからだろうか。

周囲からの否定に不安がよぎることはあったけど、根本的に揺らがされることは無かった。

「俺のようなチビの鼻まがりのニグロとユダヤの混血には、これ以下ということがないんだ。だから、いつだって俺は昇り坂さ。」
サニー デイビス Jr.

入口が地獄だったから、道を歩めるだけで幸せだった。
どんな苦悩も「将来への布石」と昇華された。

『元不登校』『20代』『女性』

僧侶として歩み始めた当初、この特色は私にとって欠点だった。

「不登校になるような頭のおかしいやつ」
「ミニスカートでも履いて布教すれば」
「そこにビール箱があるからその上で喋ってろよ」

こんな扱いが当然で、だからこそ欠点を埋められるだけの他の力が必要だと考えていた。

しかし、本当はそうじゃなかった。

「宝物は初めからそうなんじゃない、大切にしたものが宝物になるんです」不明

自分の歩む道と同様、自分自身に対しても覚悟が必要なのだと思った。

「You play with the cards you’re dealt …whatever that means. 」スヌーピー
(配られたカードで勝負するしかないのさ…..それがどういう意味であれ。)

手札を増やしたり変えたりするよりも「このカードで勝てる」と信じることが、先ずやるべきことだった。

「誰かの為に」「みんなの為に」「地域の為に」

世の中には色んな目標があるけれど、そのどれも叶えるのは結局「私」である。

だから、先ずは誰の為でもない。

自分に胸を張れる私と成ろう。

そして、そんな私の存在が知らないところで誰かのよろこびに繋がったら、それが一番良いと思う。

「国民を すくはむ道も 近きより
おしおよばさむ 遠きさかひに」
(大意:国民を救う公義の道も、まず自分を修め、家をととのえて、近くから始め、遠くへと及ぼして参りましょう)
フランクリン十二徳:公儀

仏教に於いて7は特別な意味を持つ。

釈尊がこの世に生まれた際に歩いた歩数で、「六道輪廻を超えた存在」という意味らしい。

六道輪廻を超える=迷いを抜ける

仏道を歩み始めて七年目。

もうこの道とそこを行く自分自身に対して、迷いは微塵も無い。
あとは、ただひたすらに歩んでゆくだけだ。

「学識豊かで真理をわきまえ、高邁、明敏な友と交われ。
いろいろと為になることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め。」
スッタニパータ

そうして、己を確立させた上での対人をこれからは叶えてゆきたい。

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26年間ありがとうございました。
27歳の妙晶もよろしくお願いします。

ありがとう、だいすき。