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2022.11.22(ピアノと陸上をめぐる想像)

生まれ変わったら就きたい職業のひとつが、ピアニストである。
ピアノは、子どもの頃にしばらく習っていた。けれど、家にはオルガンしかなかったし(ピアノが買えなかった)、練習がだんだん面倒になって、挫折した。そんな人間がなにをか言わんやだが、もしも才能にめぐまれたなら、来世はピアニストになってみたい。

以前、仕事でピアノに関する取材をするため、集中的にピアニストが書いた本を読んだり、ユーチューブでピアノ演奏の動画を見たりした時期があった。それでハマったのが、ラフマニノフのピアノ協奏曲3番。さまざまなピアニストの演奏を聴きくらべるのが楽しかった。いいなと思った海外のソリストが出るコンサートを東京まで聴きにも行った。毎晩、布団に入ってもウォークマンでラフマニノフ3番。その結果、絶不眠になった。脳が興奮して交感神経が振り切れたのだろう。
しばらくのち、やっと眠れるようになった頃、うっかりプロコフィエフのコンチェルトを生で聴いてしまった。その夜は寝付けなかった。一般的に、クラシック音楽は心を落ち着けるイメージがあるけれど、ピアノコンチェルトはエネルギーチャージ用だと思う。

話は変わる。
自分は運動ができなかったので、スポーツにはまったく縁がなかった。しかし、子どもたちが陸上競技部に入ってから、関心をもつようになった。大会のテレビ中継を見たり、競技場に足を運んだり、子どもが購読している『陸上競技マガジン』を覗いたり。種目にもいろいろあっておもしろく、選手たちの活躍にもしぜんに目が向く。

過日、男子100メートルの山縣亮太選手のツイッターに、ピアニストの反田恭平さんの著書『終止符のない人生』(2022年、幻冬舎)の写真が出ていて、「おおおお」となった。休日にこの本を読みながら、反田さんのショパンコンクールの演奏を聴いていたらしい。
反田恭平さんは、昨年のショパンコンクールで第2位に輝いた気鋭のピアニスト。ピアノファン歴が浅いわたしでも、反田さんのファイナルの演奏(ピアノ協奏曲1番)にはぐわっと心を掴まれ、コンクールの動画を繰り返し視聴している。
あの反田さんの演奏を、あの山縣選手も! しかも、著書も読んでいるなんて。山縣選手は読書家だと知ってはいたけれど、読書の幅が広いのだな~と、もう「おおおお」しか出てこない。

その後、家にあった『陸上競技マガジン』2022年10月号を眺めていたら、もっと驚いた。同誌に「寺田明日香の選択」という連載記事があり、女子100メートルハードルの寺田明日香選手と、寺田選手のコーチである高野大樹さん、そして山縣選手のトークが載っている。そこでこんな会話が交わされていた。

高野(以下、高):休日、二人は何をしているの?
寺田(以下、寺):家族との時間だったり、バタンキューして寝てたり……。
山縣(以下、山):育てている野菜をお世話していたり、ピアノのレッスンに行ったりしています。

(「寺田明日香の選択」vol.31 『陸上競技マガジン』2022年10月号 ベースボール・マガジン社)

なんと! 山縣選手は曲を聴くだけではなくて、実際にピアノを習っていると。寺田選手も娘さんと一緒に弾くことがあると語る。日本のトップアスリートのふたりが、ピアノ話で盛り上がる記事を陸上専門誌で読めるなんて、またもや「おおおお」と言うしかない。(ファンの方がたには自明のことなのかもしれないが)
トークはこんなふうに続く。

寺:ピアノ弾くと、疲れない?(略)
山:めっちゃ疲れます。情報の処理量が多いから。3つのことを同時に意識しながらやっていて、先生が言ってくれたことを意識するってすごく難しいし、ミスも何回もする。でも、それって陸上と似てるなって。マルチタスクで処理しなきゃいけない。陸上でもピアノでも、分かっていてもできないことがあって、「できてないよ」と言われて、仕方ないと思いながらも、それを繰り返して、だんだん感覚をつかんでいく。
 陸上の技術習得がうまく進んでいなくて心が折れそうになっても、ピアノでできることが増えていったら自信になるというか、陸上でもできるようになるなって思えます。
寺:感覚の世界が広がっていくような?(略)
 私は、娘とピアノの練習をしていて、中指がどうしても動かない。代わりに人差し指とか薬指で補うと、次が届かなかったりして。でも、そこがうまくつながったときに、『ふわぁっ』と感覚の広がりを感じるときがあるんだよね! それが、陸上で動きをつくっているときの感覚と似ていて。(略)

(「寺田明日香の選択」vol.31 『陸上競技マガジン』2022年10月号 ベースボール・マガジン社)

わあ~、おもしろい! ピアノを弾くことと、走るときの体の使い方や「感覚」には、共通点があるのだという。
いっぽう、反田恭平さんの著書『終止符のない人生』では、ショパンコンクールに向けての準備のくだりに、こう記されている。

 コンクールではミリ単位どころか、1ミリ以下の精度で指を動かし、自分が表現したい音色を奏でる必要がある。自分の思うがままに演奏をコントロールし、精密機械のような精度で感情表現を形にするために、大胆な肉体改造が必要だった。

(反田恭平『終止符のない人生』 2022年、幻冬舎)

反田さんは食事で体を大きくする傍ら、ボクシングや筋トレをして理想の音を奏でられる肉体をつくりあげていったそうだ。
わたしの記憶が正しければ、数年前に放送されたテレビ番組「情熱大陸」で、反田さんがガチでボクシングをしているシーンがあったと思う。指が血だらけになっていて、ピアニストは指が命なのに大丈夫なのか!? と驚愕したのだった。

昔は、ピアニストの手指を「白魚のような」などと形容したものだが、それはあくまでもイメージであって、実際に演奏しているピアニストは、手指だけでなく体の動きとか、はたまた集中力とか、遠目に見てもアスリート的な印象を受けるのは、わたしだけではないだろう。
別のピアニストが、恩師から教えられたのは「脱力」の大切さだった、と語っているのも読んだことがある。
パワーを炸裂させるところと、力を抜くところ、その精緻なコントロールが鍵という点において、ピアノと陸上競技(のみならずスポーツ全般)は共通するものが多いのだろうなと、素人考えではあるが感じ入っている。

ところで、反田さんの『終止符のない人生』には、モスクワ音楽院での留学生活が綴られている。この部分がわたし的にはとてもおもしろかった。世界は広い。
生まれ変わってピアニストになることができたとして、留学先の「おおおお」というエピソードに溢れた生活に、自分は適応できるだろうか。いや、存外たのしむかもしれない。
そうだ、ピアノコンチェルトも弾ける陸上選手、または陸上競技でも記録を出すピアニストに生まれ変わるっていうのはどうかな? むっちゃかっこいいじゃん!
想像はどんどん広がっていく。想像(妄想?)は自由だ。


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