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自炊を楽しむ

自分で献立を考えて買い物し、
ご飯を作り、食べ、後片付けをする。
ただそれだけなのだけど、癒されている、と思う。


この世がいやだ〜って思っていた頃は、食べたら生きて苦しみが続くじゃん〜食べたくない、と思っていて、拒食傾向だった。
ハードワークをしていた頃はコンビニにお世話になったり、時短命だった。

色々な自分の問題に取り組んで、この世がいやだ〜となっていた事柄も自分のなかで決着をつけた。
生活を送り、料理を楽しく感じることが増えた。

自分を労わるための、楽しむための食事。
(もちろん生活の中で消費や栄養補充が目的の食事も大事。)

今日なにを食べようかな、明日はなににしようかな。
体の調子やお通じの状態で健康状態をチェックして、足りないものを補う。


長年早食いの癖があって、色んな方法で直そうとしたけど直らずにきたが、ここ1ヶ月で早食いがなおりかけてきた。

とは言え、3食しっかり作るのは生活を圧迫する。

生活を送りたいから料理をするのに、その料理が生活を圧迫していく。
きちんと生活を送りたいのに、料理に支配されているとも感じる。
なぜ苦しくなるのだろう?


楽をしてもいいよ

あれだけコンビニに頼っていた食生活だったのに、いざ生活を送ろうと思ったら余計な力が入っていたのかもしれない。


父親が「晩ごはんは絶対にご飯派だったため、わたしも長らくは晩ごはんはご飯、と思っていた。
でも父とは一緒に住んでいない。
あと日本は夕飯しっかり食べるらしいけど、外国はシリアルとかパンとか火を使わないですぐに食べれるものを食べているらしい。


そこで夕飯を麺にしてみたところ、準備も洗い物も楽だった。野菜とタンパク質を必ず入れるようにすれば栄養も問題ない。


木曜日はラーメンの日。
わたしはラーメンを愛しラーメン作りも好きなので、疲れが溜まる木曜日の夜をラーメンの日に設定した。

金曜日はパスタの日。
パスタは常に冷蔵庫にあるものだけで作れるレシピにしているから、疲れた金曜日にわざわざ買い物に行かなくても良くなった。


それだけ。だいぶ気持ちが楽になった。

わりと週の始めは冷蔵庫の中身も自分の元気もあるので、ご飯をメニューに組んだりしている。

あと何もしたくなくてダメなときのために冷凍餃子をストックしている。

わたしの家は餃子は皮から手作りで家族総出で作る。実家の餃子が一番だと家族全員思っているので冷凍餃子は邪道…という雰囲気がある。

でも何もかもできない日でも冷凍餃子なら焼けるのがわかったので、冷凍餃子を常備している。家族にバレたらたぶん速攻で餃子パーティーを開かれる。「きっとかぷちは餃子を食べたいんだ!」と思われるだろう。優しい。
けれどそうじゃないんだ。そういう「正当な」行いができない日も、できないわたしも、許していきたいのだ。


他人にしたら「マジ自由にしたらいいがな」なんだけど、家庭料理とはその家庭の土台になるもので「こだわり」が絶対に入ってしまう。そこに救われることもあるし、苦しめられることもある。


自分の料理がちっぽけに感じることもあるけれど、わたしなりの「自炊」を楽しんで見つけている。
今日はおでんです。

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