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【レオマブ考察reboot②】ふたつの約束(小説ネタバレ)

まだまだ皿ロス中である。
ますますグッズやイベント情報が溢れて、私自身の欲望が忙しいので重度のロスではないのが救いである。そんな中、レオマブが漏洩しまくっていると話題の小説版下巻が発売された。もちろん読んだ。

再び私のレオマブ熱が再燃してしまったため、大いにネタバレしつつ、妄想を垂れ流そうという次第である。なんども言うが、ネタバレである。ご注意願いたい。主に、レオマブの「約束」について検討するつもりである。

1.マブが破った「約束」

10話を見てからずっと気になっていたことがある。
マブ消滅後、ケッピやら対岸の橋やらを撃ちまくるレオの台詞である。

「マブのやつ…二度も「約束」破りやがって…」

この「約束」。アニメではあまり深く言及されていなかった。
ところがこのたび小説版では、この「約束」がレオマブの核になっている。

明記されるのは、幼少期にレオとマブが交わした「約束」である
(大いにネタバレである。不快な方は回避願いたい)
小説版によればそれは、やたらと「きらい」と言うレオに対してマブが提案した「きらいと言わない」という約束。

だとすれば、マブはカワウソと契約する際に強要され


「私はレオがきらいです」
と言ったことで、レオとの約束を破ったことになる。しかもそれをレオは聞いてしまったのだから、間違いないだろう。

この「約束」は、レオマブが互いに「きらい」と言わないことで、互いが手を離さない(=つながっている)ための「約束」である。つまり、レオマブの二人を「つなぐ」ものだ
だからそれを破られた時にレオは「俺とのつながりを捨てるマブなんて、俺のマブじゃない!」と言い放つのである。

しかしレオは「2回も約束を破った」と言っている。
あと1回はどこにあるのか?


2.もうひとつの「約束」―「すき」「きらい」を超えるもの



さて、もうひとつの約束である。
小説版も含めて、マブがレオに「きらい」と言ったのは2回しかない。「約束」を交わした時の1回、そして上記のカワウソ契約時の1回である。
つまり、マブが破った約束はひとつではない。別の約束があるということだ。

思い返されるのは、前史における遺言めいたマブの言葉である。


「欲望を手放すな、未来は…欲望をつなぐものだけが手にできる」
レオはこの言葉を忠実に守り、自分自身の欲望である「(本物の)マブを取り戻す」ことだけを志向して、カワウソの奴隷となる決意をする。
この「欲望を手放すな」もまた、幼少期のレオマブに深い関わりがあることばなのである。
(ネタバレである。ご注意願いたい)

好きとか欲しいとかの感情を手放したとのたまうレオに対し、幼少期マブは「手放すな!欲望は君の命だ!」という言葉を言い放っている。おそらく本作の中でもっとも強めの語気で言っている。
欲望する=好きなものを手放さない=きらいと言って切り離さない
ということになろう。つまり「きらいと言わない」の約束と方向性としては同じなのである。

ただ気にかかるのは、「きらい」という言葉の捉え方である。
「きらい」と言えるということは、その反対のものに対しては「すき」の気持ちがあるということだ。しかし「欲望を手放す」というのはもう少し深刻で、「好き」も「嫌い」もない世界に至ることである。
幼少期のレオもはっきりと「マブには絶対きらいと言わない(=マブのことはすき)」と表明している。「きらい」は「すき」がなければ芽生えない。

このことから考えると、マブが「すき」も「きらい」も手放した瞬間が、第2の「約束破り」の瞬間だと言える。
「すき」「きらい」を超えてマブが放ったのは、最期の瞬間の台詞



「今までもこれからも、ずっとお前を愛している」

これしか考えられないだろう。


3,身勝手な欲望


マブの「愛している」にはふたつの意味がある
 ・マブが抑圧してきたレオへの気持ち(=つながりたい欲望)の表明
 ・心臓が爆発し、レオの前から消える(=つながりの消滅)の実行
マブはこれを「身勝手な欲望」と言った。
10話の考察記事でも書いたが、マブがこの愛の告白に踏み切った理由は「レオを孤独にしないため」だと思われる。小説版のマブが「レオはきらいといいすぎる」と忠告したのも、レオが率先して「つながり」を絶って孤独になることを危惧したからだ。
レオが孤独にならないように、マブは感情を殺して偽物と謗られようとも「レオのそばにいられれば良いと思っていた」。しかし、偽物がそばにいることでレオの孤独は深くなっていたことを、

「ひとりだった俺を見つけてくれた、俺が欲しかった言葉をくれたマブじゃない!」

のレオのひとことで知ってしまった。
また「きらい」を繰り返し、孤独を極めるレオに戻ってしまう。自分のせいで。だからマブは「もうそばにいられない」と判断した。
でも最後に叶えたい「身勝手な欲望」があった。それがレオを苦しめるとわかっていても、「愛している」と言いたかったのだ。それによってレオは「マブが本物だったこと」「取り戻す手段はないこと」を知ってしまう。彼を苦しめてしまう。だから「身勝手な欲望」なのだ

レオにしてみれば、
「私はレオがきらいです」=つながりを絶たれた(と思わされていた)
「愛している」=自爆によりつながりを絶たれた
という2回の約束反故ということになる。
これも10話考察記事で書いたが、このあとマブは標章(リング)となってレオのもとにとどまり、レオを孤独から救済しようとしている。ケッピが「マブの欲望おは必ず未来につなげる」と言っているのも、今思えば意味深長である。「すき」も「きらい」も、欲望も愛すらも超えたつながりに昇華するための約束反故、と捉えるべきなのかもしれない。マブに自覚はなかっただろうが。


4,ふたりで、ひとつ

なぜ、レオとマブは惹かれあったのか?
これも謎であった。
小説版で補完できたところはあるものの、未だ確信はない。妄想を書き散らしておく。

◆レオ→マブ
比較的わかりやすいのがレオ。
彼に「生きている」実感をもたせたのがマブだったからだ。
同じ色の瞳、手をつなぐ、レオが傷つけたところを舐める、レオの泥汚れが移る、などのマブの様子を見ることで、レオの心は動いていく。
「欲望を捨てていない」マブは、「欲望を一度捨てた」レオを生き返らせた。だからこそ、レオはマブと共にいる時間が積み重なるうちに、さまざまな表情を見せるようになる。マブがカワウソと契約したときに走馬灯のように流れるレオは、かなり表情豊かだった。生を謳歌している様子だった。
レオにとってマブは、そのまま「いのちをつなぎとめるもの」なのである。

レオはかなり序盤でマブへの好意を示している。「(人形焼が)好きだ」とマブに言われて動揺したり、「マブには「きらい」と言わない」と明言したり。ただし、マブには恐らく気付かれていない。マブにはそれを感じ取る感性そのものが抜け落ちている可能性があると思うのである。


◆マブ→レオ
マブは感情が出にくいタイプだと小説版にも明記されており、こちらはわかりにくい。
レオの髪の色から、マブは彼が「かみさま」だと思ったらしい。ド天然というべきか、箱入り息子ゆえか…
気にかかるのは小説版下巻のプロローグタイトルが「ふたりきりの子供たち」だということだ。これはまさしく、レオマブのことではないのか。
マブは金持ち、とレオに思われているが、両親や兄弟がいたということははっきり書かれない。いない、いても関心を向けられていない?のではないかと思う。マブの感情が乏しいのも家庭環境の影響などもありそうである。もちろんもともと欠落していた可能性もゼロではない。

孤独になって欲望を失ったレオ
欲望はあってもそれを表現する術を持たないマブ

だとしたら?
欲望は「いのちをつなぐもの」である。
マブと出会い欲望を得て、いろいろな表情を見せていくレオを見るマブは、それだけで生きる実感が沸いただろう。

(本当にいい笑顔だ…)

一方、マブは欲望があっても、それを感情として出せなかったのだと思うのである。レオを通してはじめて「レオが嬉しいと「うれしい」」「きらいというレオはきらい」など、欲望に基づく感情を自覚していく。マブにとってもレオは「いのちをつなぐもの」、生を実感させるものだ。

言い換えれば、そんなマブだからここ「レオがきらい」と嘘をつき、本当の気持ちを抑えることができたのだ。マブは欲望を捨てたのではなく、それを表明する感情を捨てた。5話Cパートでもマブは


「くだらん、個人の感情など優先してなんになる」

と発言している。欲望は捨てていない、感情として表に出すことを捨てたのだ。
これによって、ますますマブは感情に疎くなっていく。例えば「胸が痛い」のもレオへの想いの表れなのに、「機械の心臓のせい」と思いこむようにしたり、レオのためにメンテナンスを受けているのに、「カワウソに尽くしている」と思わせてしまったり…と、自分に対しても他人に対しても、感情を出すことがそもそも不得手である上に、抑え込んだために拗れたのだ。


このように考えると、マブのレオへの好意(欲望、愛)もゾンビ化してはじめて「レオに伝えられた」のだと思うのである。レオの好意(欲望、愛)にも無自覚だったため、マブは「レオへの一方的な気持ち」の表明=「身勝手な欲望」と考えたのであろう。ゾンビ化する直前までレオが「わけわかんねぇ」と、マブの欲望(愛)を知らなかったことも、辻褄が合う。そして悠に撃たれてはじめてレオも「俺は、本当は…」とマブへの感情を明確にしようとしている。やはり今までは上手く伝えられなかったのではないか。
視聴者からしてみれば2人の相思相愛(執着の強さ)は明らかなのだが、恐らく二人の間では互いの欲望や愛が一致していた自覚はなかったと思うのである。(前史ですでに結婚していた派の皆様からはお叱りもあろうが…)

人は自分にないものを、欲望する。執着する。そういう生き物だ。
レオマブもまた、お互いに欠けた部分を補完してはじめて、つながれる。生きていることを実感する
そういう二人だったのではないか。
至極人間らしい二匹のカッパが愛おしいのは、不完全な二人が、悩んで苦しんで、それでもひとつになり、生きようともがくからかもしれない。



5.生きる実感としての「手」

もう1つ、小説を読んでアニメを見直して思ったのは、レオマブにとって互いの「手」が重要な存在であるということである。
(大いにネタバレである、ご注意願いたい)

幼少期の出会い、レオはマブの手の傷をきっかけに彼に心を許し、「マブの手を離さない」と決意した
マブもまた、レオを欲したから彼の手を取り、欲望することの大切さを手を手を握って伝えた
2人はこの時の互いの「手の温もり」を、生きる実感としているのだ。

アニメ内でのレオマブの「手」を振り返ってみよう。後半に結構多い。

①カワウソ帝国との通信モニター前の二人(6話Bパート)
マブにレオがのっかているポーズのとき。触れるようで触れていない手になっている
②6話Cパート
瀕死のマブの手を握るレオ。「欲望を手放すな」のシーン。かなりギュッとしている。マブの命をつなぎとめたいからだろう。


③7話冒頭(メンテナンス中のマブ)
カワウソに体をまさぐられるマブ。9話にてカワウソ=レオの欲望の表象ということが明らかになるため、実質「レオに触られていた」?
④8話Bパート
カズキを撃ったあと煽るレオに「もういい、いくぞ」と声をかける時のマブ(肩に手をおく)
⑤9話Aパート
人形焼を食べたレオが「本物のマブだ…!」といってマブと抱き合うところ。小説でも手の温かさを感じている。
⑥9話Bパート
カワウソバァの場面。レオ化したカワウソがマブをさわりまくっている。それはレオの欲望そのもの。。。
⑦10話冒頭
目覚めたマブが「レオに会いたい」と言った時に、カワウソが手を握っている。手の感覚=生の実感(あるいは執着)ということのあらわれ?
⑧10話Aパート(重要)
カズキとレオが皿を奪いにカワウソ帝国サイドに降りていったとき。「皿」の存在がカウウソにバレたと言ってくるマブに掴みかかるレオ。その後、かずきたちが退場し
レオ「これ以上耐えられねぇ(=カワウソに尽くすばっかりのレオを隣で見るのが無理)」
マブ「レオ、私は…(レオがいないとだめなんだ)」
のやり取りののち、マブの手を「触るな!」拒絶するレオ。

前述したように、幼少レオマブは、マブがレオの手を握ったことで関係がスタートした。それを拒絶されたマブのショックは計り知れない。生きる意味を失ったようなものだ。彼がレオのそばから離れる決意をしてしまうほどの威力があったことは言うまでもないだろう。
⑨10話Bパート
カワウソとの対決場面で、ケッピの背中から復活する二人。手をつないで「欲望を手放すな!」と、かずきたちを助けてくれるところ。これまでで一番安定した、というかお互いに握っているな、という感じが溢れ出ていて関係性の変化が見える。

最後まで、言葉ではうまくお互いの欲望をさらけだせなかったレオマブだが、そのかわりに「手」は、饒舌にそれを語っていた気がする。マブの心臓を拘束しているのが「手」だということも、彼らが互いの「つながり」のために苦しみ、それにすがって生きることの表れであるともいえよう

放送終了後、穏やかな2人の様子をたくさん目にするが、中でも手をつないでいる(触れている)ものが多い気がする。お互いの欲望を漏洩し、それを感情として伝える術を知り、今やっと「生きている」実感を得たのかと思うと、心から祝福の思いでいっぱいである。第二のカッパ生を、ずっとふたりで謳歌してもらいたい。

ものすごく漏洩をしてしまい申し訳ない限りである。
とはいえ、消化しておかないと胃もたれを起こしそうなほどの内容だったため、書き散らしてしまった。これでまた来月には公式ガイドブックがでるという。さらなる供給が待っている…怖い、でも楽しみである。

長文にお付き合いいただきありがとうございました!

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