一番古い記憶

盟友にお勧めされてからハマっているPodcast、『ジェーン・スーと堀井美香の「OVER THE SUN」』
Ep138を聴いていて、堀井美香さんがインド旅行のお話をされていて、昔のブログに二歳の頃インドに行っていた記憶を書き連ねたことを思い出して、noteにも載せておきたいなと思いました。
このブログの記事には三歳と書いてあるけど二歳の頃の写真が出てきたので初めては二歳みたい。
でも母に聞いたら時期を分けて二回行ったそうなので三歳の時も行ってたみたいです。
以下、2019年3月16日に書いた文章です。

🇮🇳


トルコ旅行のお話を聞いて、色んな国の話になって、むかし、小さい頃、家庭の都合でインドに行った話をした。

家に帰って母に話を改めて聞いたら、幼稚園に上がる前だから3歳くらい。期間は一ヶ月半ほど。で、インドには実は二回行ったらしい。それは覚えてなかった。

でも、端々だけど覚えているものは物凄く鮮明で、何があったかとか、出会った人の表情とか、心の温度とか、色とか。明るさ暗さ。ちょっとだけ匂い。

そしてもしかしたら自分の中で一番古い記憶なのではないかと。
今更ながら貴重な経験だったなと思うし大事にしたいから残しておこうと思う。


🍛


車を降りた瞬間に、物乞いの人がいたこと。親子だった。お母さんと娘さんだった。黒い服を着て、私を見上げていた。

空港に人がいっぱいいたよねって家族が昔話していたけどそれは覚えてない。
あとスラム街を歌いながら歩いていたらしい私。
その頃が一番心がタフだったのではないかと思う。

あと言われて思い出したのが猿がいる山?に遊びに行ったら私のコートについてた木のボタンがどんぐりに見えたのか猿に追い回されて泣いてたこと。

ケララとダージリンに行った。
多分、行ったのは夏でも冬でもなかったのだけど、ケララは真夏。ダージリンは冬。
常夏のケララの海で遊んだ。青い海だった。浜辺でお漏らしして泣いてる写真がそういえば残ってた。父と、仲良く過ごしていた記憶がある。貴重な記憶。
太陽が痛いくらい眩しかったけど、暑苦しくなくて過ごしやすかった。空も真っ青だった。

次の日、ダージリンに行った。ダージリンって紅茶の?って聞いた記憶がある。お母さんの好きな紅茶?って聞いたら、んーダージリンも好きだけどお母さんが好きなのはアールグレイだよ。って言われて、なんだあと思った。今思うと、そこで違いなんて分からないだろうと思ってそうだよーって適当に言わない母が好きだ。
たくさん着込んで、息が白くて、山を馬に乗って登った。初めはお母さんと乗ってたけど白い馬がいいってわがまま行って、休憩の時に、案内してくれたおじさんと白い馬に乗りなおして、ご機嫌だった。
書いていて思い出したけど、はじめは兄が白い馬に乗っていて、代わってもらったような。。ごめんね兄。
謎の小屋を見た。(昨日母に聞いたら、あーなんか絨毯作ってるところとか見学したよねって言ってたからそれかなあ。)
その小屋を見てるときもすっかり馬のおじさんに懐いて、抱っこしてもらってた。そのおじさんが、板チョコをくれた。クランチの入ったホワイトチョコレートだったような気がする。
おじさんの暖かい気持ちを、覚えてる。

ケララは原色。真っ青。ダージリンはくすんでて霧が出てて優しい色。絵本の中みたいだった。

ご飯食べに行って、カレー食べたいって言ったら、お家のカレーとは違うのよって言われた。(漢方に近いからねって。)だから、カレー食べてないと思う。
意外とみんな手使って食べないんだねって言った記憶ある。
端の方に(多分敬虔な)ヒンドゥー教徒御一行がいて、私たちは椅子だったけどその人達はお座敷だった。そしてその人達が静かに手で食べているのを見て、なんというか、インドの暮らしを感じた。おおおと思って、勝手にお店の中をうろうろしてたのに思わず止まって見惚れていたような。
薄暗くて、でも窓のカーテンかなんかからの隙間から外からの強い光が入ってきていて
とても、神聖な場所のような気がした。

バイクに乗せてもらって、家の周りをゆっくり一周した。深緑色の原付。汚れて歪んでたけど、かわいかった。

父が単身でインド行っていて、そこに母と兄と短期滞在しに行って、また3人で先に帰る予定だったので、帰る時に、お気に入りだったからちょっと嫌だったけど、うさぎの人形を机に置いていってあげた。
そのうさぎの人形は、我が家にあった大量のぬいぐるみと共に、ワールドギフトに引き取ってもらうつい最近までうちにいました。茶色い部屋。四角い家具。リビングのソファーで寝た。白いソファー。

象にのった。
何故か普通の街並みに、象がいて、乗れて。(そんなことあるのか?)
高くて、感動したけど象の背中に布がかかってたのにそれでもちくちくして、座り心地が悪かった。赤とオレンジの、綺麗な模様の布。象は灰色。
象にのって、地上を見下ろした時の違和感。下から見上げてる現地の人がみんな、笑ってなかった。何故かも分からず、あれ?って思った。
なんだかお尻のちくちく以上に居心地が悪くなって降りたくなった。怖かったんだと思う。

これは大人になった今の考察。
きっと3歳には3歳なりの人生があって、きっと何してもかわいいねって笑顔で見守られてきた人生だったのだと思う。だから、きっと無意識に笑顔で見守られると思っていたから、違和感を感じたのかなあ。
旅行にきた金持ちの日本人が象に乗っている光景を快く愛しく思う現地の人なぞいるのだろうか。
見上げていた人々の中には、子供もいた気がする。大人も笑ってなかったけど。
(もちろん、街中を歩いていて嫌がらせされた記憶などは一ミリもありません。)
(そして別に金持ちなわけではないのですが、旅行に来る余裕のある、恵むか恵まれる側かに分けるのであれば、恵む側だということで。)

アメリカ人だと思ってたけど、同じ年くらいの子がいる韓国人の家族のお家に遊びに行った。家の中にブランコがあってとても羨ましかったし、羨ましがった。他にもおもちゃたくさんあって、綺麗でカラフルなお家だった。何故かインドの子もいたような気がして、兄と私日本、韓国、インド。人生初の異文化交流だった気がする。みんなちがーうって思った。

🍛


また思い出せば追記しようと思う。
よく、インド行ったことあると言うと価値観変わるって本当?って聞かれるのですが、
価値観が出来上がる前に行ってしまったのでなんとも言えないけど、笑

でも振り返ると、ああ、ここが私の好みや価値観の原点だったのかということが、ありました。
青が好きなこと。
白い馬。チョコレート。紅茶。
カレーが大人になるまでなんだか好きじゃなかったこと。
原付にどうしても乗りたいこと。
人の、色んな面。
命を感じる国に興味を持つこと。
神聖なもの、信仰は、対象がなんであれ根本的には美しいと思うこと。


気温も階級も、いろんな真逆が共存するこの国に行けてよかったし、また行きたいと思う。


私はどうしても言葉が通じないのが怖いみたいでなかなか海外旅行に行けないのだけど、
色んな国に行ったことのある人生でありたい。から、これから色んな国にいこうと思う。

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