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当事者じゃなかった....【invisible women】

存在しない女たち-男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く-/キャロライン・クリアド=ペレス

反フェミニストだったんです、私。そこまで言うほどじゃないよ、いささか過激すぎやしないかあって思ってたんです。

こういう私みたいなやつが、隠れたリスクだったんです。どちゃくそ反省しました。それが1番の学び。

何が隠れたリスクだったかというと、自分の生きてきた環境は男女とか考えなくてよかった。そこでつくられてきた私の価値観は「男か女か、それ以外かも個性のひとつ」。人と接したり人を見たりするときに、セクシュアリティなんてどうでもいい。

だから!
「なんか女性ってだけで優遇されるな〜」
って本気で思ってた。
でも、これってふたつの問題が潜んでいると思う。

ひとつは、
女性だからといって当事者ではない。もっと言えば、社会の歪みについて考えるとき、当事者を属性で指すのは危険だ。これはここまで書いたこと。

ふたつめは、
少なくとも私のような環境に生きてきたら精神的な不平等を感じにくいために、これまでのものづくりにおける女性の視点の欠如にも意識が向かなかったけれども、実際にこれは事実としてあるということ。さらに、これは私も感じたことのあるものだということ。

ひとつめのどデカい気づきのせいで薄まっちゃったけど、確かに言われてみれば不便な世界ではある。スマホはminiでも片手で文字打てないし、車の運転席はデカすぎてあきらかにアンバランスな体勢になるし、電車の棚もつり革もコンビニの1番上のドリンクも高くて届かないし。私は身長が153cmだから女性のなかでは低いほうではあっても低すぎるほどじゃない。どうりで不便だったんだ。私がチビだからじゃなくてさ。

この本、(ところどころ「それは偏見/言い訳だわ」と言いたくはなるけど)基本的には淡々とファクトが羅列されている。そんなにひどかったのか~と呑気に思っていたら、これが2020年に出版されている模様。私が優遇と感じたものは、男性視点のものづくりの結果に、無理やり上から女性視点のシステムで塗りつぶそうとしたから、精神的男女平等価値観の私にはその塗りつぶしの行為が優遇のように映ったんだろう。

ここで私がやりたいのは、いまもうつくられちゃっているものにケチつけていくよりも(もし良くなるならそれはうれしいけれども)、これからのものづくりを変えていくこと。セクシュアリティもそうだし、身体や心の個性も、年齢も、国籍も....全部ぜんぶ、みんなでみんなのことを考える世界をつくりたい....そう思ったのでした。

なにからはじめたらいいのかもわからない。小さくゆっくり。

あともうひとつ、大事かもと思ったこと。いまは無形のものづくり(と勝手に呼ぶ)、たとえば組織、空間、価値観、コミュニケーション、サービス....がどんどん増えている印象がある。たぶん、そうだよね?そうなると、身体よりも精神はもっと多種多様で、視点の角度は直線じゃなくて面で、面を超えて球体のように(わけがわからないけど表現の仕方はこれが1番近い気がしている)あるのが「みんな」なのかなあ。

おわり

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