私の背中を押す、「34グラムの銀」

18歳の私にとって、1番たかい買い物は、「シチズンの腕時計」であった。

デパートの1階。黒のストライプスーツを着こなす男性店員が2人。目をあわせぬよう、緊張を隠して店内へ。ショーケースの右から3番目にみつけた。

ソーラー充電だと楽だ。それでいて、ベルト部分はステンレスがいい。うっすらピンクの円に、小さい文字盤。きっかり12時を指して止まったままの針が3本。

即決だったように思う。

いつだったか。電力が足りず針が痙攣した時は。うろたえた。それ以来、晴れた日には腕時計を窓台に置き、太陽光をチャージ。ただ、それも、洗濯物を干す母に蹴られてしまう。腕時計を片手に、家の中を、うろうろ。

ようやく、最高の日光浴場所をみつけては、その小窓の傍に本を2冊。ちょうどよい高さに合わせて、腕時計をそっとおいた。

その習慣が、今年で4年目になる。

あなたにとって「腕時計」とは何だろう。

正確な時間を知る道具。ファッションの一部。電子機器を持ち込めないテスト中に出番が訪れるもの。「ともに時間を刻みたい」という愛の深いプレゼント。

私にとっては、「いつだって背中を押してくれる」存在だ。

ネックレスやブレスネットを普段身につけないものだから、急におしゃれしだすのは恥ずかしい。でも、腕時計なら、逃げ場をつくってくれる。左の手首から、ちらっと覗く「銀」色 の存在は、主張しすぎず、こっそりと自分に自信をつけてくれる。

4月1日の朝、のりが張った「スーツ」に袖を通す緊張感。高さ7cmのワインレッドの「ハイヒール」に足をすべらす高揚感。

誰だって、「モノ」に背中を押されてきたんじゃないだろうか。

2020年7月28日、シチズン時計は子会社の社員を対象に、希望退職者550人を募った。「スマートウォッチの台頭」、「若者の時計離れ」による需要減に、「新型コロナ」が追い打ちをかけた結果である。

「腕に時計をつけること」は、スマホを持ち歩く「今」、必須ではないかもしれない。

それでも、パソコンやスマホを触る「あなたのその手首」で、控えめに針を動かす、「重さ 34グラムの存在」は、お金以上の価値があると思えてならないのだ。

どうしても。