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第11話 インクに惑わされる日々

 前回、「次回・分解編!」と熱く書いたものの、よくよく考えたら、まだこの時期に分解とかしちゃいない。まだまだブラックボックスなこの機械に対して、どうやって向き合ったらいいのか、悩んでいるところだったのでした。A3での印刷の端っこが掠れてインクが出ない赤でも大丈夫。それくらい「2色で印刷できる!」というだけで興奮していたのです。フォークギターでの演奏でいえば、ようやく3コードを覚えられたくらいのもの。バーコードでいくらビビって音が出てなくとも、初めて自分でなにかできるような気がしてる、あのワクワクする感じだったのかもしれません。

汎用インクと純正インクの違い

 リソグラフを手に入れて到着するまでに、本体以外の消耗品を手に入れようとしていたのだけれど、そのとき、世界中のリソグラファーたちと同様、とんでもない事実に直面するのです。そう、純正のインクやマスター(版)は、理想科学からしか買えないという現実! そうなのだ。リソグラフのインクやマスターは、文房具屋や量販店では売っていないし、アマゾンの検索リストにも上がってこないのです。つまり、ノーマルカラーのボトル1本が約3,500円という正規価格一択でしか購入することができないのだ。なんだ、この自由経済の時代に!

 と、嘆くなかれ、世の中捨てる神あらば、拾う神あり。実は「汎用インク」というものが存在しているのです。

 「リソグラフ」「汎用インク」で検索すると、出てくるわ出てくるわ。純正の約半額で販売されているさまざまなインクたち。いやぁ、結構いろんな色があるんだ、と確認。ブラック/レッド/ブルー/グリーン等の基本的なものから、フェデラルブルーだのバーカンディレッドだのが用意されているのです。素晴らしい! ということで、実はリソグラフが届く前から、汎用インクを買っておいたのだよ。段取り悪い自分にとってはなんと珍しいこと。よし、まだ前のインクが少し残っているけれど、こちらのインクを入れてみよう。フロントの扉を開けて、古いインクボトルを抜いて……あ、もうあんまり残りインクがないな……そしてこちらの新しいやつを入れて扉を閉めてっと。

「ピーーーー!」

 あれ、なんだかエラーメッセージが出てるぞ。
「消耗品の情報を取得できません 設定値を入力してください」だと? 一瞬焦る。でも大丈夫。汎用インクの説明書を見ると、これを無視してずんずんと進んでください、としっかり書いている。

[設定方法]
H1 インク色設定(ブラックかカラーかの二択)→ H2 印刷濃度微調整(1で大丈夫)→ H3 ファーストプリント印刷濃度調整(1で大丈夫)→設定完了画面(スタートボタンを押して完了)

 これで大丈夫。ただ、面倒なのは、インクを入れ替えたときだけでなく、電源の再起動時やスリープ状態からのウェイクアップ時にも毎回これらの設定を必要とするということ。たった30秒程度で終わる作業だけれど、正直ちょっと面倒くさいな、と感じるわけで。あと、なんだかこの作業をやるたびに、理想科学の営業の方の顔が思い浮かび、「純正使わなくて申し訳ありません!」と罪悪感を感じることも。

 なぜ汎用インクだとエラーメッセージが出るのでしょうか? これはすべてリソグラフのインクに付属のICチップを認識して、個体判別/認識をしているからなのです。どうやらインクの種別(カラー/精度)の判別のみならず、インクの残量もこちらで管理している模様。例えばブライトレッドのインクドラムにノーマルレッドのインクを入れたり、ノーマルブラックのドラムにHDブラックのインクを入れた場合、エラーメッセージを発してそれらのインクを使用できない設定になっている。

 ちなみに汎用のインクには、謎の絶縁ステッカーシートが貼られており、基本的にチップ認識できないこともあって、リソグラフ本体側が[消耗品の情報を取得できない]と表示されてしまう、というわけです。しかし、設定の問題はともかく、汎用インクを使っていても問題はないのでしょうか? 

 実際に使っていて気づいたことですが、理想科学の純正インクは、汎用インクに比べて若干粘り気があるように思われます。リソグラフのインクは、エマルジョン・インクと呼ばれるもので、水性のインクに油(基本はソイオイル、時には米糠オイル)を撹拌して作ったもの、それゆえに水性と油性の両方の特性を持っているのです。例えばドラムにマスターを貼り付けた状態で数日置いてみると、純正のインクを使った場合、時間が経ってもマスターのインク縁がしっかりあるのですが、汎用インクは油染みのように少しずつ滲みが広がっているのです。実際の色の乗りに関しても、純正のインクの方が圧倒的に美しく、かつインクの酸化がもたらしていると思うのですが、数日経ったあとの色の変化も少ないように感じます。
 同社の創業時に端を発する、国産初のオリジナル・エマルジョン・インク開発が現在のリソグラフの礎を作っていることを考えると、現在のリソグラフ純正インクへのプライドやクオリティへの自信は、いかほどのものか想像に難くありません。それらの敬意もあって、この先、自作のインクを使う可能性はありますが、汎用インクは使うことはないと思います。

 ちなみに、海外のリソスタジオでは、最近はインクを自作することが少しだけ流行りつつあるようです。また、インクを一度絞り出して、数種類のインクを混ぜて新しいカラーを作って詰め直して使うのは、結構多くのスタジオで行なわれています。また、アメリカはフィラデルフィアのスタジオRisolveあたりでは、オリジナルのインクを練って作って、ボトルに詰めて使用しているようです。

色が欲しい!…色が欲しい!!…色が欲しいっ!!!

 ブライトレッドとブラックの二色刷りでももちろん楽しかったのです。ブライトレッドで写真を半調にした上にブラックで文字を入れるだけでも、ちょいとゴシックな感じで、なんだかやった気になるわけで。でも……1色でも色が付くだけで、欲しくなるんです、他の色が! それは、多くのリソグラファーたちが通ってきた道なんだと。今、リソグラフを手に入れて、「さぁ、これでなにか面白いことやるぞー」と思っておられる方は、きっと同じ思いに駆られているはず。とにかく俺は欲しい、カラードラムが(倒置法による強調)!

 そんなときは、やっぱりちゃんと保守契約をお願いしている営業さんに頼むのが一番。「いやぁ、ドラム欲しいんですよね。これ新品だとおいくらくらいになりますかねぇ」と少しはお値段サービスしていただけるかな、と思って訊いてみたら、

「1本15万円に消費税となります!」

 との回答。リソグラフ本体を12万で購入している人間が、ドラム1本に15万払うわけはなし。と、いうことで、迷うことなくリソ本体購入でもお世話になったヤフオク様にカラードラムは売っていないかをチェック。えっと「リソグラフ/カラードラム」で検索……あ、結構ある。あるけれど、うちのMD5650に合うのはいったいどれなんだろう? GRドラムとかはちょっと形状が違うな。MD云々だからDドラムなのかな? 写真では形は合ってるみたいだし。Zドラムっていうのも形はそっくりだけれど、それってMZシリーズのドラムなのかな? うーん分かんないな。ま、いいや、この「フェデラルブルー ドラム」を試しでポチっとな。

「おめでとうございます! あなたが落札しました。」

 この2014年の時点では、中古のドラムが出品されていれば、1本1万円前後で落札が可能でした。しかし2016年の末くらいからか、リソグラフのドラムの落札価格が徐々に上がってきて、現在では自分たちが使っているD/Zドラムが廃版になったこともあって中古自体が出なくなった上に、もし出ても安くて5万は下らないにようになってしまったのです。あのころ、もっとたくさん買っておけばよかった! ただ、ヤフオクに出品されているドラムは確かに安くてありがたいのですが、状態が良くないものも少なくなく、博打感覚で落札しています。基本、駆動系はほぼ問題ないけれど、インクの分配部分が詰まっていたり、マスター版が直接貼り付くメッシュのスクリーンが摩耗していたり破けていたり、プレートの部分が折れていたりすることさえあります。それらを自分で試行錯誤したことによって、メンテナンスの技術を手に入れることができたのではないか、と。

印刷不具合の理由とは?

 しかし話は2014年、ブライトレッドのドラムがかすれていても、まだどうしようもなかった時のこと。もちろん、それでも楽しかったけれど、なんだかモヤモヤする。というか、文章は印刷できても、何度刷ってもかすれや空白の部分が出ていて、アートワークを印刷するにはちょっと厳しい。そして、その理由は、以下の通り。

①ドラムに巻きつけられているメッシュスクリーンにインクが固着して、十分にマスター部にインクが補充されない。

②メッシュスクリーンの下にあるドラムプレートの小さな孔(写真)の幾つかにインクが固着して、ドラム外にインクが出ていかない。

③内部でインクのオーバーフローを軽く起こしているか、4個所あるインクラインの孔のどこかが詰まっていて、インクの流量のバランスが悪い。

④ドラムプレートが凹んでいたり傷があったりして、印刷をする際に均等な圧力がかけられず、印刷できない部分が出てくる。

 他にもさまざまな原因が考えられますが、やはり①のメッシュスクリーン詰まり、そして②のドラムプレート詰まりが最も頻繁なトラブルです。特にしばらく印刷使用していないと思われるドラムは、丁寧に扱っていたとしても、自然にインクが固着してしまっており、メッシュの詰まりから逃れることは難しいのです。これに関しては、新たに新品のメッシュスクリーンを取り付け直すことが一番ですが、メッシュスクリーンを日本で販売しているのは、理想科学の公式のみ。理想科学でメッシュスクリーンの交換を依頼すると、作業費も含めて15,000円程度。もちろん保守契約の場合は無料ですが、メッシュだけをもらって自分で修理することはできないようです。


ドラムの詰まり/汚れをどうやって拭えばよいのか?

 そんな詰まりや汚れは、サッと洗い流せば済む話ですが、この汚れをいかにして取り除くかの旅は結構長い道のりで、最終的な答えが出るまで2年半の時間を要しました。普通に考えればインクを何かしらの洗剤や溶液で流せばいいのですが、これが簡単じゃない。なにしろリソグラフのインクはエマルジョン・インクという水性であり、油性でもあるがゆえに、その両方の特性を洗い流さなければならないのです。

 まず最初、シンプルに中性洗剤で洗ったのですが、これが汚れは思ったよりも落ちる。落ちるんだけれど、なにか根本的な詰まりとか固着してネットリとしたインクがまったく落ちない。落ちないというよりも少し白濁する感じで一向に詰まりが取れなくなってしまうのです。でも、少し落ちることに期待して、しばらくは中性洗剤に頼りっぱなしでした。今でも、本体が軽くインク汚れたときや、皮膚についたインク汚れには中性洗剤が一番だったりしますが、ドラムの全体洗いには若干パワー不足かと。

 次はよくやるアルコールでの洗浄。もちろんこれも悪くはないのですが、やっぱり固着した汚れは一向に取れず。加え、度数の高いアルコールは安くはないので、たっぷりと使うわけにもいかず。それ以上にリソグラフのパーツにはゴムやプラスティックも含まれているわけで、アルコールによってパーツが変形したり溶けたりする可能性も含まれているので却下。

 そして、油性塗料に対しての溶剤と考えて、シンナー系溶剤を使ってみました。大学時代、京都西山の某工房の恐竜の骨格標本等を制作している場所で、塗装前に細かな埃を取り去るための「シンナー洗い」というバイトをやっていたことがあります。ジャブジャブと大きな樽にシンナーを流し込んで、成形されたパーツを手洗いするわけですが、今考えるとめちゃくちゃな作業。そんな経験があったがゆえに安易にシンナーを洗浄に使ってしまったのですが、これは本当にヤバかった。密閉されたスタジオ内に揮発したシンナーが充填されたときの危険性をすっかり忘れていたのです。また、たしかに落ちるものの、その後インクが分離してしまって、異なるドロドロの粘液のようなものを生み出したのです。

 また、固着したインクはしっかりとは落ちないものの、シンナーやアルコールを用いると、ドラムに貼り付いているスクリーン・メッシュの繊維を収縮させてしまうということに気づきました。一度、スクリーン・メッシュを取り外して、袋状になっているスクリーンの内側まで徹底的に洗浄作業を行なったものの、それを再び取り付け直す際に完全に縮んでしまって再使用できなくなったことが2度あります。

 最終手段で、高圧洗浄機を使って一気に洗い流す、という作業を行なったこともあります。これはかなりの効果があったのですが、こちらはちゃんとした洗い場がある作業場ではないので、自宅の風呂場の流し場にて一気に行なったところ、床のタイルと目地にインクがこびりついて地獄絵図になったことがあります。高圧洗浄は効果的ですが、くれぐれも適切な場所での作業をお勧めします。

 他にもクエン酸だの弱アルカリ洗剤だの粉石鹸をお湯で溶かしたやつだの重曹だのいろいろと使ってみましたが、すべて帯に短し襷に長し、なかなかコレという洗浄剤が見つからなかったのです。
 そんな中、シルクスクリーン作家の友人がポツリと一言。「シルクとかスクリーンベンジンや灯油で洗ったりしますけれどね」と。えー、そうなの(無知)? その一言で騙されたと思って、ウエスに灯油を少しだけ含ませて、インクドラムをスッとなぞってみたら……おい、今までの2年半の苦労はなんだったんだぁ! 誰か、もっと早く教えてくれよ! なんだ、これ、全部取れる取れる取れる。固着しまくっていたインクが二、三回トロットロに溶けるし、スクリーンを外して中のプレートに至っては、もう新品並に全部落ちるわ落ちるわ。スクリーンも取り外して、裏も表も袋の中も綺麗に拭き取れるんだ! マジで感動したものです。
 また、最近では灯油ももちろん使いますが、車やバイク用の「パーツクリーナー」を用いることも少なくありません。パーツクリーナーは即効性ある上に細いストローが付いたスプレー型ゆえに、細かい部分まで入り込んだインクを洗い流すことができるのです。この先で述べる「ドラムの分解洗浄」をする際には、このストローが本当に効果的なのでお忘れなく。

 ただ言っておきますが、灯油やベンジン、パーツクリーナーには、「ヘキサン」という成分が含まれているため、やっぱり室内ではかなり危険、本当に十分な換気と火気がない状態、かつ皮膚もできる限りカバーした形で掃除しなければ大変なことになります。これらは本当に自己責任でやっていただければと。ちなみに「ヘキサン」をwikiってみると……

慢性毒性として、アルカンの中でヘキサン(ノルマルヘキサン)は特異的に毒性を有する。代謝系でヘキサンが酸化され2,5-ヘキサンジオンが生成し、これが末梢神経を侵すために歩行困難などの多発性神経症が発症する。急性毒性としては500ppm以上の濃度のヘキサンに曝露することで頭痛や軽度の麻酔作用が現れることがある。

wikipediaより

 うっわー、怖い怖い。本当に怖いので、マスク・手袋を必ず着用の上、何卒よろしくおねがいします。

それでは、ドラムの色を替えてみようか?

 1本カラードラムを買って調子に乗ったこともあり、2本目のドラムを落札。ブラック/ブライトレッド/フェデラルブルーと来たもんで、次はブラウンあたりが欲しいな、と。「ブラウン、クラフト紙とかとの相性いいんだよなー」、と思いつつ、そんなにタイミング良くブラウンのドラムが出品されるわけもなし。ま、違う色のドラムにブラウンのインク入れたら使えるんでしょ、どうせ。ドラムの中に前の色がたっぷりと注入されているから、色が変わるまで何十枚、何百枚刷らなくちゃならないけれど、それもまぁ、楽しみのひとつ、と思って。
 そうして落札したブルーのインクドラム、これにブラウンのインクを差し込んで……あれ、認識しないやん! え、どういうこと? 何? バグ? 

とのエラー・メッセージが出たまま、またまたたじろいでいる自分。

 リソグラフのドラムのカラーチェンジをすること、その恐ろしさと大変さに、まだそのとき私は、何ひとつ気づいちゃいなかったのでした。


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