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第1話 D.I.Y.パブリッシングの入り口

きっかけはぼんやりと

 なぜに現在のように自分のスタジオで印刷して自分で製本して断裁、自分で本を売っていく蛇の道を選んだのか、正直、あまりにぼんやりとして今となってはよく分かっていないのです。とにかく明確な意思や目的があったわけではないのは、たしか。で、そんなぼんやりとした記憶からこの話は始まります。

 ここで述べている「D.I.Y.パブリッシング」とは、一般的に語られる自分たちで企画・編集して出版・営業までを行なう「セルフ・パブリッシング」と同等の意思を持ちながら、ややその作業範疇が異なるものです。また、zineを作るジンスタやジン・メイカー、リトルプレスの制作者とほぼ同義でもあるけれど、造本自体を自身の手で行なう作業により重きを置いたもので、さまざまな機材やシステムを用意、自ら操作することで本を作る作業を指しています。つまり、これまでの一般的に言われる「出版」と比較すると、完全にオルタナティヴな仕事、しかしよくよく考えてみれば、現在のように本作りが分業化されてきた歴史のはるか以前、出版の原初の時代に立ち返ったようなものじゃないか、と自分は考えています。

 具体的に言えば、

「企画→取材→執筆→校正→デザイン→入稿」

 という編集/制作作業に加えて、

「紙選び・装丁→印刷→製本→断裁→営業→販売」

 まで、本作りに関するすべてのことを自分たちだけでやる試み。言ってしまえば、D.I.Y.でどこまで本が作れるか、ということ。その精度がどれほどのものか、まだこのシステムがこの国で可能かどうか分からないのですが、なんとなくできそうだな、できるんじゃないかな、まちょと覚悟はしておけと思いながら、現在、日々、書籍を作っています。そして、その面白さを共有したくて、それらの手法について、単なるノウハウではなく自身の体験からすべてを説明していきたいと思います。

私が編集者だったころ

 とにかく、突然、何も分からず印刷機材を中古で手に入れて、製本したいと思ってその手法を学び、ノロノロと亀の歩みで動き始めたのが今を去ること10年ほど前。もちろん、それ以前にも子供のころから壁新聞のようなものを作るのが大好きだったし、シコシコとマンガを書いて自分のためだけの1冊だけの雑誌を作ったり、中学生のころに地元のミニコミに関わったり、自分たちのバンドの宣伝のためのフリーペーパーを作ったりと、同世代の他の編集者たちと比べてもインディペンデントで冊子や印刷物を作っていた方だと思います。その後、京都から上京して、音楽雑誌の編集者として3年勤続、その後フリーの編集者/ライターとしてさまざまな記事や媒体、書籍や雑誌を作ってきたし、2000年ごろから、福田教雄と共に自分たちの出版レーベル『map』として、本当に好きな雑誌や画集、書籍、翻訳本、数多くのCD/レコードを作って販売してきました。このあたりのセルフ/インディ・パブリッシングに関しては、この先、具体的に説明していくと思います。また、料理人として、2冊の『なぎ食堂のベジタブルレシピ』(ぴあ社)というレシピ本、そして『渋谷のすみっこでベジ食堂』というエッセー(駒草出版)をいわゆる“ちゃんとした書籍”で発表、しかし、そんな感じのプロフェッショナル的に本を作る、ということにあるころから興味を失っちゃったのでした。

 いや違う、嘘おっしゃい。何をカッコつけてるんだ。興味はいまだにたっぷりとある。ただ、“ちゃんとした書籍”を作るときのさまざまな手続き……企画を考え、企画書を書き、煮詰め、編集者とあーだこーだと相談し、購買層がどのくらい存在しているかをリサーチして、そこから部数や価格をひねり出しながら、時間をかけて取材し、原稿書いて、編集して、デザイン出しやって、校正やって……という作業がなんともはや大変だなぁ、と思っちゃったんです。そんなことすっ飛ばして、すぐに本の形にしてくれるんだったら、いつだって作りたい“ちゃんとした書籍”。

 ただ世の中そんなに簡単にはできていないのも知っています。多くの人が関わってくる出版という作業には、それなりの責任とリスクをともなうし、時にはありえないことも起こるものです。実際、これまで企画段階ではなく、取材/ライティング/編集まで終わったものの立ち消えてしまった書籍や雑誌は数多いし、とある音楽家の自伝で、ライティング/編集は終わりデザインも校正も校了、あとは印刷会社でスタート・ボタンを押せば本ができあがる段階まで進んだ本が終了したことさえある。もちろんフリーでやってるこちらは、「いつか、タイミングで形にできれば」という話だけ残ってギャランティは支払われることもなく。ギャラはともかく、正直、そんな何ヶ月も時間と労力を費やしてきたことが、自分以外の失敗ではない、他者の力でつぶされてしまうことが、なんだか辛く、悔しかった。そんな経験が、自分がD.I.Y.へと向かわせたのではないかとも思っています。あとそれ以上に、ブラックボックス化していた「入稿後」の作業を知りたい、自分でやってみたいという興味も含めて!

 今気づいたのですが、“ちゃんとした書籍”って少し嫌味に響くかもしれませんが、嫌味で言ってるわけじゃない。もちろん、現在自分が印刷/製本しているような冊子が“ちゃんとしていない書籍”なわけでもない。本来であれば、“商業出版”と呼ぶのが適切かもしれないんですが、現在、自分でzine(やリトルプレスでもいいし、自主制作本と呼んでも……んーなんでもいいです)を中心に作り続けていることもあり、“商業出版”と呼ばれるような書籍/雑誌の存在は、あまりにも遠い別世界になってしまったのです。とはいえ、ちゃんと印刷所で印刷され、製本所で製本されたものでも、読者として書店に並んでいるものを見て、「あぁ、いいなぁ」と思わず手に取ってしまうような本もたくさんあります。そんな書籍/雑誌に対して、今暫定的に形状として“ちゃんとした書籍”と呼ばせていただいております。

“ちゃんとした書籍”の初版部数は?

 そんな“ちゃんとした書籍”ですが、昨今の出版不況の最中で、どのくらい売れているものなのでしょうか? もちろん内容の良し悪しに関わらず、売れるものは売れる、売れないものは売れないわけですが、そのスタート地点である初刷り(最初に印刷する冊数)は年々下がっていると聞きます。それ以前に、売れるかどうか分からぬ本は、よほどのもの好きな編集者がいない限りまず出版されることはないでしょう。もし、もの好きな輩がいて万が一うまく企画が通ったとしても、既にバリューがある作家だのSNSで話題になっただのでない限り、「初版は、まずは2〜3,000部くらいから刷っていきましょう」という、大きいのか小さいのか分からない話でスタートするのが常。で、その作業に対して、お幾らほど印税が発生するのか考えてみると、

価格が1,500円、印税を10%の場合、
1,500円(価格)☓2,000部☓0.1=300,000円

 と、初版の印税だけでは取材経費もペイできるかできないか程度。自分の仕事に対する名刺代わりに作るのならいざしらず、半年くらいかかって1冊作ってこのくらいの金額だと生活していくことはまず無理。「いや、知り合いやフォロワーで初版くらい捌けないならば、本なんて作らなくってもいいでしょ」と思われた方の感覚は決して間違ってはいない。しかし悲しいかな、自分にはそんなに多くの友人・知人は存在しないし、自分以外の多くの作家/ライター諸氏もこの低いハードルすら超えられないのが現実。例えば自分が出版したレシピ本は、運良く数度重版を重ねて結構な冊数が流通したようで、今でもkindle等での販売も含めて、ほんの少しだけ小銭をいただいておりますが、初版でピタリと動きが止まってしまったエッセーの方は、本当に出版社に申し訳ないことをしたなぁと思わざるを得ません。運が良いことに韓国版も出たこともあり、少しは赤字を補填できたとは思いますが、いやはや、なんとも、申し訳ない限りです。

本の価格の内訳とは?

 いわゆる商業出版では、初版数が完売すれば、最低限の印刷費や印税・編集費用等を含む制作費を十分に回収(リクープ)できる形で算出されているようです。商業出版のやり方と言われても、D.I.Y.パブリッシングには関係ないように思われますが、逆にこれまでのスタンダードな出版システムがどう動いているかを知らずして、自分たちで本作りなどできないと思います。

●印税:先に述べたように、印税は作者の実績や出版社との関係性によって大きく違ってきますが、基本10%程度ではないでしょうか。また、執筆者の印税のみならず、外部の編集者がかかわる場合、編集印税が発生することもあります。編集印税は大抵3〜5%と低い場合が多いのですが、この場合出版社の制作費からではなく、印税全体を執筆者と編集者で分配する場合も多いと思われます。
 印税は契約内容にもよりますが、印刷された冊数に合わせて支払われます。つまり1冊も売れなくとも、印刷された冊数に対して支払われるものなのです。

●原価:もちろん初版数が少なければ少ないほど、原材料費のリスクは小さいのですが、部数が少な過ぎると印刷単価が高くなり、自ずと制作費も無駄に上がってしまう、ということ。そんな、紙代や印刷、製本といった「制作原価」は全体の25〜30%と言われており、本を作る内訳で最も大きな部分を占めます。それゆえに、ここさえどうにかなれば、いつでも好きなだけ本を作れるじゃないか!という抜け作な発想こそが、「自分で本を印刷する」ことの根底に流れています。

●出版社:書籍の内訳として最も大きいのが、出版社の経費/利益があげられます。書籍を作るために必要な編集経費はもちろん、販売するための営業/広告費用、そして利益等々、さまざまなものが含まれています。これが全体の30%程度を占めていますが、出版社が経費全体を出している上に、売れなかった場合の経済的な負担はすべてここにあるわけで。それでも純益は10%以下と考えると、出版とはなんともリスキーな仕事なのだな、と思わざるを得ません。

●流通(取次)・書店:本を作っても売る場所がなければ、すべて余剰在庫と化します。編集者は本を作るプロではありますが、販売するプロフェッショナルではなく、書店のバイヤーや小売店の店員さんたちの目利きと地道な努力によって本は売れる可能性を持ち始めるのです。基本的に書店や店舗での割合は、掛率や取り扱い方にもよりますが20〜25%程度といったところ。
 また、本を書店に届ける流通網が、「取次」という存在です。ここ日本では、かつては東販・日販のような巨大な取次が中心でしたが、最近では、中小規模の取次、それも人文系や医療系等々、それぞれ専門性を持っていたりするため、小さな出版社でも国内中の店舗に卸すことが可能になっています。また二次卸し、三次卸しという形で、本来取り扱っていない書籍も書店に仕入れることが可能です。この取次の費用が、書籍全体の10%を占めることもあります。また、最近では意図的に取次を使わず、直接書店/小売店と契約する出版社もあります。

 本を作るには、多くの人が関わって、多くの人がそこに生活の糧を見出しています。
 しかし、長々と書いてきましたが大規模な出版社でなくとも本は作れます。いや、20世紀ならいざしらず、本世紀も1/4近く進んでしまった2023年、そんなことライターや編集者、書店員といった関係者はもちろん、読み手の皆さんもご存知なはず。そんな「自分たちで出版社を始めること」について次章ではお伝えします。

 

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