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第5話 リソグラフ印刷との出会い

 たしか2005年くらいと記憶していますが、僕らが京都のカフェ・アンデパンダンというヴェニューで、自分たちの企画であるジョアンナ・ニューサム(だったと思う)のライブを終えたあと、物販を売ってる時ひとりの女の子に「よかったらこれ読んでください!」と手渡された1冊のファンジンがありました。キセルをテーマに数ページにわたってわら半紙に数色のカラーで印刷されたその冊子は、古いガリ版印刷のような味わいでありながら、写真等も掲載した、当時はちょっと他には見ない仕上がりだったのです。

日本初のグラフィック仕様のリソ印刷所

 今から10年近く前、僕はリソグラフ機MD-5650を手に入れて、6年ほど前にHand Saw Pressというスタジオを始めましたが、決して自分たちがリソグラフ(孔版印刷)の第一人者なわけではありません。リソグラフ自体『プリントゴッコ』でおなじみの日本の理想科学が1986年に「リソグラフ007D」を発表しているので、かれこれ40年以上の歴史がある機材、スタジオという意味で考えても、1990年代中ごろにはオランダのKNUST PRESSのようなリソグラフを使ったアート・スタジオが生まれているし、ここ日本でも、関西では「京都こぴい」や「カンプリ」といった簡易印刷所がリソグラフやリコーの孔版印刷機を備え、さまざまな用途に対応していた歴史があります。また、それ以上に、リソグラフのような孔版印刷機は決して特別なものではなく、ほとんどすべての学校や官公庁において設置されている、皆さんもよくご存知の「なんだかよく紙が詰まってしまう、コピー機のような印刷機」のことなのです。
 そして、2008年前後に、大阪は中津でレトロ印刷JAMというリソグラフを数台備えた印刷所が生まれました。JAMはそれまでの簡易印刷所よりも多くのカラーを備えていることもあり、アート仕様にも十二分に耐えうるポップな表現を実現したのです。ただ、そのころから2020年くらいまでJAMさんは、使用機材の「リソグラフ」という名称をあまり公には出していなかったこともあり、レトロ印刷JAMさんの刷りだす鮮やかな作品が、学校で何度も使っている「よく詰まるアレ」の所業だとご存知なかった方も多かったと思います。

とある若者たちの実験室

 では、先に述べた「キセルのファンジン」はレトロ印刷JAMで刷られたのかといえば、それは半分正しく、半分間違いかもしれません。その時、僕にファンジンを手渡してくれた彼女は、その時こんなことを言っていたのです。
 「今度、こんな印刷を自由にできる印刷所に大阪で関わるつもりです。始まったらぜひ一度使ってください!」と。
 これ以降は、まだしっかりと調べがついていないことも多いので間違いもあると思うのですが、興味深い話なのであえて書かせていただければ。
 そのキセルのフリーペーパーを作っていた女の子は、どうも当時大阪で「編々草」という編集プロダクションを運営していたスタッフの1人だったのではないか、という情報が。この編々草は、当時20代であった数人のライター/デザイナーで構成されていたようで、大阪のインディ情報誌「Jungle Life」等の執筆/構成も手掛けていた模様。また、JAMの社長に当時の話をうかがうと、元々印刷所であったJAMがリソグラフを中心にした印刷所へと変わる黎明期に彼らが関わっていたことだけは判明。ただ、なぜ編々草が普通の印刷所であったJAMと関わり、なぜそこから離れていったのかは不明なのですが、海外のリソグラフ・シーンの影響を受け、自分たちのオリジナルな出版物をJAMと共に作ろうとしていたのではないか、と。そのゼロから何か始めようとしていた姿を勝手に想像して、グッと来ていたりします。それゆえ、自分はこの編々草というチームこそが、日本におけるZINE系リソグラフ使用のスタート地点だったのではないかと信じています。今、自分が試行錯誤していることをその10年以上前に具現化していた彼らが、いったい何を思っていたのか、とにかく知りたいです。彼らが当時作っていたZINEや冊子、今、本当にめちゃくちゃ読みたいと思っているので、もしお持ちの方、加え編々草についてご存知の方はぜひご教授いただければうれしいです。もちろん、御本人でも歓迎です!

500部を印刷するということ

 2007年の末になぎ食堂を始めて、それから数年の間は、日々、料理を作ることが忙しすぎて、ライターとして編集者として、そしてレーベルとしての仕事がほとんどできなくなっていました。「飲食店は始まって3年の間に半分以上が潰れる」とはよく聞く言葉、それゆえに、自分はとりあえず「3年間は他のことを考えず、とにかく店を続けることだけに集中する」と決めていたのです。しかし、なんとかかんとか3年という時間、お店を維持することができて、赤字経営からほんの少しだけ余裕が見えはじめたころ(とさらっと一文で書いているけれど、もー、大変だったんですから!)、再び、ふつふつと「本、作りてぇなぁ」な気持ちが高まり始めたのです。家族もいるのに……乳飲み子抱えてるのに! 
 しかし、最後に作った『Songs in the Key of Z』から早4年、『map』の3号目からは既に7年の時が経っていました。その間に、以前に書いたように印刷経費は下がり続けていたものの、それでも2000年前後とは時代が大きく様変わりし、世の中の本全体の実売数が強烈な下り坂になっていたのです。そんな時代に、もし自分たちが雑誌や本を作るんだったらどのくらい売れるんだろう、と考えたとき、10年前だったら2,000冊売れたかもしれない自分たちが作りたい雑誌が、その内容を鑑みると多く見積もっても500冊もはけないんじゃないかと。また、「電子書籍元年」と呼ばれているのがちょうど2010年ですから、この先フィジカルの書籍に未来があるとは、自分も含め誰も想像していなかったのかもしれません。また、2,000冊であれば、ギリギリ印刷所で印刷してもらえるけれど、500冊であれば、印刷所もさすがに首を縦にふってはくれないだろう、いや、それ以上に単価が高くなりすぎて頼めないじゃないか! あかん、無理だ。ダメだぁ。本を作るなんて贅沢品だ!

 「本を作りたい」気持ちは高まれど、それを現実化する方法がどこにも見当たらない……前章で述べた通り、そんな暗鬱とした気持ちの時に出会ったのが、このリソグラフという無骨な機械だったのです。そしてそれが、海外では「よく詰まるアレ」ではなく、ある種「クール!!」なものとして扱われているということに何より驚いたのです。

 しかし、2010年の段階で、海外のインディ・パブリッシャーたちは、既にリソグラフを用いて冊子を500部くらい平気で作り込んでいました。そして、それらのカラフルで独特な質感を持った冊子は、世界各地で行なわれているアートブック・フェアを伝って、世界中に伝播しはじめていたのです。ネットを検索すると、オランダからカナダ、スイスから台湾、ブラジルから韓国、オーストラリア、もちろんアメリカやフランス、イギリス……それらのムーブメントをほぼ知らないのは、リソグラフ生誕の地である日本のみだったのかもしれません。
 ただ、Hand Saw Pressは、2019年のTOKYO ART BOOK FAIRの際に十周年の記念として、初年度に作られたZINE5冊(五木田智央、服部一成、題府基之、ホンマタカシ、土川藍&小林亮平)の再販分(500部)を印刷したのですが、そのオリジナルもほぼすべてリソグラフ印刷が用いられていました。つまり2009年の段階で、この日本でもアートシーンにおいては、リソグラフで印刷することは特別ではないものになり始めていたのではないか、とも感じています。ただ、これらのZINEは基本ブラックでの印刷、ごくわずかにレッド/ブルーのほぼ3色のみの使用を見る限り、リソグラフに魅力を感じていたというよりも、いわゆる「ZINEっぽさ」を意図的に演出したのではないかとも想像します。

リソグラフと、オフセットや家庭用プリンタとの違い

 不思議に思われる方もいるかもしれません。今から30年前ならいざしらず、今や一般家庭に普通にPCとプリンタがあるのが基本、また、ほぼすべてのコンビニには、A3サイズのカラーコピー機が用意されており、写真まで印刷してくれる始末。セブンイレブンのマルチコピーにいたっては、中綴じ冊子の面付けまでしてプリントしてくれる(もちろんこの機能はとても素晴らしいのでまた紹介できれば)状況なのに、なぜに無骨に重く、しょっちゅう紙詰まりして手を汚しまくる印刷機に魅力を感じているのか、ということ。
 これに関しては、種々雑多、プロフェッショナルも身内からも、さまざまな人に言われます。「プリントパックとかグラフィック等の印刷屋を使えばオンデマンドでカラー印刷も低価格で出せますよ」というのもさもありなん。実際、自分もグラフィックを使ってオフセット印刷でさまざまな本の表紙を作ったりしますし、フライヤーをかなりの枚数作るんだったら確実に頼みます。余談ではありますが、印刷のプロではない方も相手にして20年以上やってきただけあって、その入稿時のユーザーインターフェースも含めグラフィック最高、とさえ思ってます。
 また「家庭用のプリンターでもフルカラーでかなり綺麗」だの「最近プリンターでも徳用インクとかあるんで安くできますよ」というのも分かります。でも、自宅のプリンタで印刷したときに、その刷り上がったものが、幾ら安いインクジェット・プリンタを用いたとしてもちゃんと「印刷物」が生まれるのです。また、自宅のプリンタやカラーコピーは、オフセット/オンデマンド印刷のちょっとした劣化版とはいえ、十二分に綺麗なんです。ただ、この「綺麗」というのが曲者で、「美しい」という意味で用いられる「綺麗」はなく、すべての色味が正しく発色していて、すべてが同じ仕上がりになっているということ。もちろんすべてのメーカーはそれを求めて機械を開発して、どれだけ整然としているか、という品質にこだわり続けた結果なので、その企業努力は称えられるべきことだと思っています。「優れた印刷機を低価格で作ってるのに何の問題があるんだ!」というのもその通りだと。

「印刷」と「版画」の狭間にて

 しかし、僕らは整然としたもの、綺麗過ぎるもの、便利過ぎるものに何かしらのつまらなさや寂しさを感じてしまうのです。いや、それらメディアにマイナス要素があるわけじゃないな。それ以上に、ちょっと不安定で、でも手触りがあって、ひとつひとつ、それぞれの環境によって異なる捉えられ方を持つものに、何かしらの魅力やリアリティを感じてしまう、そこに楽しみが生まれてくるということ。一番近い例で言えば、CDやダウンロード、ストリーミングで音楽が整然と提供されているにもかかわらず、あえてアナログ・レコードやカセットといったメディアで音楽を聴くときのあの感じ。レコード針を落とす瞬間のワクワク感、片面聴いたらわざわざ裏返さなくちゃいけない、あの面倒くさい感じ。この感じは、もしかしてすべての人たちが共有できる感覚ではないのかもしれません。もちろん、世代的な違いもあることでしょう。しかし、ここにあるのは、もはやノスタルジックではなく、もっとある種の人間の本能的な感覚のように思えます。

 活版印刷だったりシルクスクリーンだったり、というものは、「印刷」と称されているものの、ある種の不完全さを纏ったものです。機械式もあるとはいえ、基本は人的な作業がベースになっているがゆえに仕上がりが微妙に違ってくることもあり、大きく分類するのであれば「版画」の範疇に入るものと言えるでしょう。ほとんど同じなのだけれど、その微妙な乱れや質感の揺れ、みたいな違いに人は何かしらの「作品性」だったり「手作り感」だったり、本能的に芸術的な美しさや異物感を感じ取れるのだと思います。

 そしてリソグラフです。リソグラフはその見た目から、コピー機の単色カラー版のようなイメージを持っている方も多いのですが、コピー機とはまったく異なるものであり、その仕上がりから何から「紙にしか刷れない水性シルクスクリーン」とか、「ガリ版印刷機の電気バージョン」と言えば少しだけ想像しやすくなるでしょうか? いや、今「ガリ版」って言われても50代以上じゃないと具体的に思い描けないか。とにかく、「印刷機」でありながら、その仕上がりは「版画」である、ということだけは頭においていただければうれしいです。ま、このさき、数章によってそんなリソグラフの特異性をお伝えすることになると思いますので、ここでは「ふむふむ」と思っていただければコレ幸いです。

 とにかく10年近く前、僕は、うかつにも体重200キロ近い図体の厄介者を招き入れてしまったのでした。そして、ただただ後悔をしたのです。




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