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発達障害児かどうかは周りの大人が勝手に決めている。

子どもが成長する過程において
基準とされる指針から外れていたり、周りの大人が「育てづらい」「しつけづらい」
などの「問題行動」があると、通常 相談機関や医療機関などに相談する。

子ども自身が自ら相談やサポートを望むには、ある程度の年齢にならなければ難しい。
結果、子どもが生きづらさや学びづらさを実感するよりも早く周りの大人が育てにくさを感じて 相談からの「診断」ということになる。

が、しかし、よくいわれることに
「障害はその人(子)自身にあるのではなく周りの人や環境にあるのだ。」と。
そう考えると、改善すべきは「その子」ではなく「周りの人や環境」ということになる。
周りを変えるために「その子には障害がある」と診断するのだ。

なんだか 矛盾がある気がして もやもやする・・・。
まぁ、ここらへんの矛盾は、行く行く深めていくことにして
とにかく、「発達障害児」であるというレッテルは、現在では、早くにつけられるてしまうことも少なくない。
先天性の脳機能障害、不全と言われているから当たり前かもしれないけれど。
また、その症状や程度も複雑に混ざり合っていて、それぞれの子が違い、診断も難しい。
と同時に、「発達障害であるという診断」を決定するには症状が顕著でもなく
境界域にいる子も少なくない。

そうなると、もっと「診断」下すのが難しくなるのだから、余計慎重に診断すべきだと思う。

極端なことを言ってしまうと10歳ぐらいまでの子どもの診断にはすべて「疑いがある」とするくらいがいいんじゃないか?と

子どもたちは環境で大きく変わる。
発達の遅れや凸凹がある年齢で多少あったとしてもどのように育っていくか?はわからない。
「疑い」とすれば、その子の育ちや発達をしっかり援助する努力も増えるかもしれない。
あきらめるのではなくて。

子どもたちの秘める可能性を信じてもっとその子の育つ環境整備とサポートする大人が努力すれば子どもたちの未来は大きく変わっていくんじゃないかと思う。

子どもたちの持っている力は 大人の想像を大きく変えていく。

多くの人に その事実を知ってほしいと思う。



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