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 知的障害であるかどうか?は大抵WISCなどの知能検査の数値をもって判定されることが多い。
FSIQ(全検査IQ)の数値がおおよそ70以下で50以上である場合 軽度知的障害と判断されます。
もちろん例外もありますが。

30年近く障害児や周辺児など様々な困りを持つ子どもをサポートしてきました。
知能(認知機能)にさほど問題が無くとも学びづらさや生きづらさを感じている子も一定数います。
また、軽度知的障害の子と境界域に居る子もはっきりと線引きできるものでもありません。

今回はそういうことを問題に取り上げるのではなく
知的障害がある場合、往々にして学校に通っていても
適切な「教育」を受けることができていないという現状と
わたしたち、誰もが生きている間はずっと「学び続けて生きていく」であろうことが知的障害であるという理由でその環境を保障されていないということが問題なのではないか?と言うことを提起したいと思います。
そういう機会を提供してくれる場所が無いと言ってもいいかもしれません。

わたしがサポートを行っている場所(LOF教育センター)では
ずっとそういう子たちにも「教育」の機会を提供してきました。
また、教育環境を維持するための進路のアドバイスや選択肢のご提案も。

最長で通ってきてくれた軽度の知的障害の子は障害者枠で就職してからも数年通ってきてくださいました。
保護者の方が「学び続けること」の大切さを理解してくださっていたので。
で、コツコツと基礎学力を積み上げて行きました。
おそらく、パッと見た限りでは、知的障害があるなどとはだれも気づかないくらい。
その内、私が事務所を移転したので、自宅より遠くなって通うのを断念せざるを得なくなりましたが。

わたしたちも社会人になってなおいろんなことを学び続ける必要があり、
それに費用が発生することは当たり前だと思っています。
本を買うこともそうですし、学ぶことができる場所へ行くことも同じです。

そんなことはたとえ知的障害があっても同様であろうと思うし、
そういうことが選択できなければならないとも思っています。
単純に何かの仕事に就ければいいというわけではありません。

どんな人も学び続けたいと望む事が当たり前であり、
そんな環境を維持することができる社会の仕組みがあるべきだと思います。
そんなことを当たり前に保障するのが社会であろうと思います。
誰一人学ぶことをあきらめる必要なく。

Everyone  Does  Not  Give  Up  Learning.

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