見出し画像

ここでいう「障害」とは
知的障害や自閉症、発達障害など認知機能に困難さを抱えている障害のことを指して言っています。
身体障害の方は別なので。

障害があるとその程度によっても違うけれど、
福祉サービスを受けることが多い。
教育機関に通っている時は
一応「特別支援教育」と名が付いたものを受けることが出来るとしている。
はたしてそれが「教育」と言えるものかどうかは別として。
特に「特別支援学校」に行く子どもを見ていると
「教育」とは程遠いところに子どもたちが居ることを強く感じる。

もちろん、子どもが幼い時には、
「療育」が必要であり、
子どもたちの困りが少しでも解消されるアプローチは大切だ。
この事によって、未来が拓かれていくからだ。

大切なのは「子どもの困りの解消」である。
環境的な「障害」を取り除くのは、当然で、
その上で「子どもの可能性、未来を拓く」ための
発達援助、教育が必要なのだ。
周りの人が大変だから彼らを排除しようとすることではなく。


福祉サービスの殆どは無料か低料金である。
発達障害などは「早期発見、早期支援」と謳われてきて
国がそれを保障しなければならない為「療育」を受けることが一般的レベルまで広がってきた。
が、この公的支援や特別支援教育だけに子どもを置いていては
「子どもの未来は拓いていかない。」
もし、それが、可能であれば、
障害者がこんなに増えるはずがない。

いつも私は口を酸っぱくして言っているが
「障害児」がそのままいつも「障害者」になるわけではない。


特に、発達障害児の場合、大きく発達したら
その域を越えて社会に飛び立っていくのだ。
もちろん、苦手さや不器用さは残るが、
そんなものは誰にでもあるはず。

だから、
障害があっても
障害が疑われていても
そうではない子を育てるのと同様
「教育費」は必要なのだ。

私がサポートしている子たちも他の子同様
様々な学びや経験をしている。
そんな環境に子どもたちを置いてくれている。

「もし、この子が大学まで行ったら」と思うと
どれくらいの教育費をその子にかけるだろうか?

そんなことを考えると
そんなことと同等の教育費を彼らにかけてあげてほしいと思う。
特に発達期に「いろんなことをさせてあげる、
学ばせてあげる。」ということは大切なことなのだ。

「そんなの無駄だ。」と思う人もいるかもしれないが、
私はそんな風には思わない。
たとえ知的障害があろうとも、
継続学習することは、とても大切で
継続学習を行うことで彼らの能力も向上していくからだ。

「防災」教育などが盛んになっているが、
障害児とって「自分の身を守る」という行動がどういうものか?
を理解させるには、彼らの認知機能を上げる、
つまり、「看板や標識などに書いてあることがわかる」と言うのが
正にこの「自分の身を守る。」ことに繋がり、
とっさに取れる行動が運命を左右することになるのだ。

だから、
障害がある子たちにも、生涯を通じた教育の継続と
様々な経験や体験をすることが出来る権利と環境を保障してあげてほしい。
多くの人が理解していてほしい。

彼らの未来を拓く為に
単なるレクレーション的なものではなく
しっかりとして「教育プログラム」をどの子にも提供してほしい。
提供してあげたい。

そう思うのだ。

彼らの未来、可能性が拓かれていく教育環境をもっと充実させてあげてほしい。
そうすることが大切だととわかっているからこそそう強く思うのだ。
惰性ではない
諦めではなく
希望を持って彼らを育む教育を。
そうすることがもっと日本の未来を明るくしていくことだと思う。

そんな風にいつも思っている。

個性といういろんな色がいろんな形で彩っていく美しい社会の実現を目指し 活動しています。 どうか応援、サポートお願いします。 今は、奈良の限界集落の地域おこし、オルターナティブスクールの創設、 組織内のダイバーシティ化推進を目標にがむしゃらに頑張っています!