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「3.11」とわたし Vol.6 肌で自分に合う仕事、合う暮らし

飯舘村地域おこし協力隊 大槻 美友 さん

震災から10年の節目、
飯舘村に様々な立場から関わる人々が語る
自分自身の10年前この先の10年


今日は、キャンドル作家 大槻 美友 (おおつき みゆ) さんの物語。

2020年から飯舘村の地域おこし協力隊としても活躍中の彼女は、
ワークショップイベントや村外での出張販売を通じ、
キャンドルの灯火とともに飯舘村の魅力を広く伝え続けています。

飯舘の植物をふんだんに使った作品に囲まれたその暮らしぶりは、
まるで村の自然にふわりと溶け込むよう。
ここ最近は、畑を借りて自分で作品用の花を育てたり、
村内の空き家をセルフリノベーションし、
みんなが集えるアトリエをつくる計画も。

大槻さんが語る、柔らかくも大切なこだわりとは。

初めて聞く言葉がたくさん

震災当時、私は福島市内の高校生でした。
その日は妹の中学校の卒業式だったので、
みんなで焼肉屋さんでご飯を食べていました。
急にあちこちから緊急地震速報がけたたましく鳴ったかと思えば、
ゴゴゴゴゴと地面の奥の方から響き、大きく揺れる店内。
奥の厨房からは、食器が雪崩れるように割れていく音が聞こえてきました。

「あ、ここで人生終わるかもしれない。」

“死”というものを、生まれて初めて身近に感じました。

当たり前だと思っていた生活が、あっという間に崩れていく。

電気はすぐに復旧したのですが、水は数日間断水していて、
お風呂は我慢できても、トイレは我慢できないので
近くの用水路から汲んで、家族でバケツリレーをしたり、
クーラーボックスにビニール袋を広げて敷いて、給水所に並んだりしてましたね。
(当時は震災の備えが全然出来てなくて、あるもので代用してました。)

確かに見えないもの(放射線)への不安もありましたが、
初めて聞く言葉がたくさん出てきてよくわからないし、
原発から離れているから多分大丈夫だろうと思っていた部分もありましたね。
とにかく明日を生きることに精一杯だったのを覚えています。

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山に囲まれている自分が好き

山形県の大学で製品デザインを勉強して、
その後は無印良品に勤めていました。
高校卒業後はずっと福島から離れて暮らしてましたね。

たまに実家に帰ってくるとすごくホッとするんです。
それは実家だからというものあるけれど、
福島という土地が自分に合っているような、そんな感覚ですね。

函館に住んでいた時期があったのですが、
海が見える暮らしにどうも馴染めなくて…笑
やっぱり山に囲まれている自分が好きだなあと。
店舗で販売員として働く自分にもなんだか疲れてしまい、
思いきって仕事を退職し、実家に帰ってきたのが2018年でした。

肌感覚で、自分に合う仕事、自分に合う暮らしがしたい。
そう思って、まずは自分で何か作って販売してみようと、
色々と始めたうちの一つがキャンドル作りだったんです。
作っていくうちに、福島県で栽培された草花や風景など、
福島にこだわった作品を作りたいと思うようになり、
いつしか自分の軸となっていきました。
こだわり続けてきた先にあったのが、
今の飯舘村の暮らしなのかもしれません。

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福島にこだわり続けた作家に

変わらず福島でものづくりをしていたいですね。
それがキャンドルじゃなくても全然いいと思っています。
時が経てば作りたい物も、目指す方向も変わってくるかもしれません。
まだまだやりたいことも沢山あるし、できることも増やしていきたいです。
10年後、その時の自分の気持ちに素直に応えられるように、
常に柔軟でありたいなあと。

今は飯舘村の地域おこし協力隊としても活動しているので、
この経験も生かしつつ、福島出身の作家として
これからも福島にこだわり続けた作家でありたいです。

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関連リンク

Instagram @atelier.myrtlee
https://instagram.com/atelier.myrtlee


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