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「3.11」とわたし Vol.4 「由貴ちゃん、小さい頃の夢が叶うじゃない!」

花卉農家 花井 由貴 さん

震災から10年の節目、
飯舘村に様々な立場から関わる人々が語る
自分自身の10年前この先の10年

今日の主人公は、飯舘村で花卉農家を営む 花井 由貴 (はない ゆき) さん。
福島市から、旦那さんのご実家がある飯舘村に移住し、かすみ草栽培をスタート。
最近は様々な品種にチャレンジし始めています。

由貴さんの言葉一つ一つからは、
日常の小さな出来事に丁寧に心を寄せ、
その時々の気づきや感情を大切にしていることが感じられます。

そんな彼女のもとで、3人の子どもたちは自由気まま。
自然あふれる環境で思いっきり駆け回り、
村の人と出会えばすぐに打ち解け友達になってしまいます。

震災以降、多くの壁にぶつかり、もがきながらも、
家族とともに、夢とともに乗り越えてきた「ゆきちゃん」の話。


これ以上何を頑張れば

震災前は福島市に住んでおり震災当日は特別養護老人ホームにて勤務中でした。
利用者様が入浴後の水分補給している時で、
私も怖かったんですが利用者様を安心させるために
「大丈夫ですよ、ちゃんと車椅子掴んでるから安心してください」
と声かけしながら
居室に居る利用者様の安否確認をして地震が落ち着くのを待っていました。
休憩中に家族に無事の連絡をしたりしていました。
勤務終了したのは23時で、帰りにコンビニに寄った所、
棚は空っぽに近い状態でしたが、
まだ何とか残ってるものを探して家族の待つ自宅に帰ったのを覚えています。

震災中は「がんばろう福島」がCMで頻繁に流れていて、
当時の私は毎日仕事にも行っていて、
これ以上何を頑張ればいいのだと鬱状態(通院)になっていました。

ガソリンも残りわずかになり、父親が私の車の給油するのに並んでくれたり。
実家は断水だけで電気は通っていたので、
洗い物を減らすのに紙皿にアルミホイルを敷いたりして軽い食事を摂ったり。
家族でお互いに励まし合いながら日々を過ごしていました。
震災を経験して「当たり前のように思えていたことは実は当たり前ではないのだ」と実感しました。
通水したのは1、2週間くらいでしょうか…その辺は忘れてしまいましたが、
お風呂に入れない日々が長い期間あったのは覚えています。

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子どもの頃の夢

震災後に夫と知り合い結婚をし、憧れの家庭をもちました。
理想と現実は違いがありましたが笑。
当時は福島市内に拠点を持ち過ごしていました。
夫の実家である飯舘村に初めて足を運んだ時は
「父親の実家と似たような感覚があり懐かしいような感じ」がありました。

このまま市内で過ごしていくんだろうなと思っていましたが、
夫の母親から「ハウスを建てて花を育てるのどう思う?」と話を出され、
「お母さんがやりたいようにしたらいいんじゃないか」と返事をすると
「自分は歳だから、やるのは由貴ちゃん達だよ」と言われビックリ。
私の両親に話をすると、母親から、
「由貴ちゃん、小さい頃の夢が叶うじゃない」との返事があり笑。
私自身は幼い頃の夢をすっかり忘れていましたが、母親はしっかりと覚えており
「農家のお嫁さんになって農家やりたい!」と言っていたみたいです。

そんな言葉に背中を押され、家族とも話し合い、
「どうせやるなら風評被害の少ない花卉栽培をやりたい」と強く思いました。
その後は村役場に話をしに何度も足を運び、
やる気を訴え「認定新規就農者」として3年前にスタートしました。
当時、かすみ草を産地化として進めていた村役場の後押し(販路や指導)もあり、
ビニールハウス4棟で開始しました。
初年度は何が何だかわからないまま、
見よう見まねで栽培をして無事に開花が始まった!と
喜びも束の間、あっという間に出荷のピークを迎え、
寝ることも出来ないくらい忙しく「こんな筈ではなかった」と思いましたが、
何とか出荷を終え反省をし、○○が思うように出来なかったから
次年度は○○をがんばろうと夫と話し合いを重ね、
毎年少しずつ改善をして進めている状況です。

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子育てと、花育て

子供達は、こども園からスタートし、今では上2人が小学生になり、
宿題に付き合える時は宿題に付き合って、自分の時代とは違うやり方があり
教科書を見て自分が理解をして子供にアドバイスするなど、
両親がしてくれたことを、今しています。
昔、親にならないと親の気持ちはわからない。
と言われていましたが、まさにその通りですね。

末っ子もバス送迎出来る年齢(3歳)になり
自家用車で送迎することもなくなりましたが、
自分で送迎をしている頃は先生方に
子育ての相談に乗っていただいたりとても助かりました。
花卉栽培の忙しい時期は学童に預けたり、延長保育等を利用して助かっています。
ご近所さんにも恵まれて、
「余り物だけど、よかったら食べて」と沢山のおかずいただいたり、
「子供達にご飯食べさせてね」など助けてもらえて感謝の気持ちでいっぱいです。
子供達なりに私の仕事を応援してくれているので頑張りたいです。
農家にしか味わえない魅力を子供達にみせています。
虫が苦手だった子供達も今ではカエルをかわいいと言って
手のひらに乗せてペットのようにしたり逞しくなりました。

今後は毎年作付け面積を増やして花卉農家として成功させ、
法人化していき、村民の働き口になれるように成長していきたいです。
今は村営住宅住まいなので、戸建てに住めるように頑張りたいな。

それから、もう一つ、夢があります。
花卉農家を始める時、父親は私に、
「トルコギキョウ」を作るのか?と言ってきたんです。
トルコギキョウは村で元々栽培が盛んだったので。
でも初心者がやるには難しい品種だからその時は諦めていて。
だから栽培技術が上達したら、将来的にはトルコギキョウ栽培に挑戦したいです。

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@yuki.871family     https://www.instagram.com/yuki.871family/



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