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「大奥」を見納めて・上

 12月12日、NHKドラマ10「大奥」が最終回を迎えました。
今年の1月から3月までが1stシーズン、そして10月から12月までが2ndシーズンでした。

 1stシーズンからノリノリで見ていた者としては、インターバルの期間はしんどかった…。しかし、「お預け」をされた分2ndシーズンは熱量マシマシで見ていました。

「鎌倉殿の13人」を一年間追っかけ続けて時代劇・歴史劇の面白さにどっぷり浸かったのですが、鎌倉殿が終わった後の喪失感は大きくて…。
 そんなときに私の心を埋めてくれたのが「大奥」でした。


 どのように書くか迷いましたが、とりあえず最終回の感想をメインに書いたあと、軽く総括のような形にしたいと思います。

大奥最終回感想①強き人、和宮


 あの、和宮役を岸井ゆきのさんにオファーしたのはどなたですか、天才ですか。
 あまりにも京ことば(御所ことば?)が流暢だったので関西人かと思ったのですが、神奈川県出身でいらっしゃるんですね。すごい!

 前回、家茂の訃報を聞いたときに
「上さんはほんまにお節介いうか、いっつも人のことばっかりで、とうとう命まで差し上げてしもて。あほやろ…」と泣き崩れる姿に筆者の涙腺はクリティカルヒットを食らいました。

原作漫画だとセリフはこんな感じ


 字面だけ見ると憎まれ口をたたいているようにも思えますが、そういう上さんの「お節介」なところに救われて、人間として惹かれていたのは事実なんですよね。そういう哀しい思慕を感じて、再放送を見てさらに泣きました。

 今回は、その和宮が大活躍。
亡き家茂へ忠義を尽くしたい一心で、いかに江戸を守るかに奔走する勝海舟。勝は、新政府軍のトップ・西郷隆盛と交渉に臨みます。
 しかし西郷は、「慶喜公の首をとる」という点で妥協しません。挙げ句の果てに「慶喜公は、代々女に国を治めさせた恥ずべき一族の長だから殺さねばならない」と言い切る始末。

「赤面が流行っていた時は仕方ない。しかし、十三代十四代も女が将軍を務めたではないか、そんなだから時代遅れの国になってしまった」と吐き捨てます。
 唯一の理解者(ソウルメイトといっても良いでしょう)であった家茂を侮辱された怒りから、思わず襖を開けて話しに割って入る和宮(京ことばが難しいので、台詞は標準語で記します)。

 和宮はまず、「江戸にいる和宮は私の妹宮である」と記された先帝からの御宸翰を見せます。その次に、「薩摩と岩倉は裏切り者である」と記された書状を見せます。
「同じ手かと存じます」と述べる西郷。しかし、「これが真筆という証はどこにもない」とかわします。

 和宮は本気を見せ始めます。
「あなたたちが立てていた錦の御旗だって、誰も見たことがないものを勝手に立てたのではないか。人というのはそんなもんだというのは、あなたが一番分かっているはずだ」と。

Twitterの拾い画1


Twitterの拾い画2


「西洋にも負けない江戸の町を守ってきたのは、徳川の女たちだ。その歴史はあなたたちが好きなようにゆがめて良い。その代わり、江戸のまちには傷一つ付けるな」と啖呵を切ります。

 かっこよすぎるよ宮様…。さすがの西郷も、皇女の言い分に楯突くことはできません。こうして、江戸の町は守られたのでした。

 和宮の好きポイントはまだあります。江戸開城が決まり、天璋院と瀧山は大奥の男たちをねぎらうために宴を企画します。
 そこに聞こえてきた衣擦れの音。そう、これまでずっと男装していた和宮が、京風の女装束の姿で現われたのです。
 慌てる瀧山。しかし天璋院は微笑んで
「これがまことのあなた様なのですね」と受け入れてくれました。
 和宮はふっと笑って「何ゆうてはるの。私はいつだって私です」と返すのです。しびれます!  

 身につけている服も、性別も関係ない。今ここにいる人間こそが「私」だと高らかに宣言するのです。究極の自己肯定。

 生まれてからずっと居ない者として扱われ、弟に成り代わって江戸に向かうなど、彼女本人の人格は無視されてきた宮様こと親子(ちかこ)。しかし家茂のはからいによって正式に帝からも存在を認められ、家茂からは「あなたこそが世の光」と存在そのものを肯定してもらったことで和宮は生まれ変わりました。
 いや、家茂という最高の研磨剤が、和宮という原石を磨いて光らせたと言うのが良いでしょうか。
 母の愛情を独り占めしたいという「しょうもない企み」を考え、実行してしまうのはある意味強さでもある。その強さを、家茂がより高次なものへと昇華してくれたような気がするのです。

 1人になり、空を見上げる和宮。「これで良かった?上さん」とつぶやきます。宮さん…きっと、家茂も喜んでいるよ。

②瀧山の身を守った忠義の心

 江戸城が開城され、大奥も解体。それにあたり、大奥総取締である瀧山は、「新政府軍が土足で上がるのをためらうほど」に掃除をしろと指揮を執ります。生真面目に拭き掃除をする姿になんとも言えない愛嬌がある。
 その掃除も終わり、別れの時が来ます。
ともに江戸の町を守るために奔走した天璋院に対し「お別れは遠慮させていただきたく存じます」と願う瀧山。天璋院が理由を問うと、「涙が止まらなくなりそうだから」と答えます。天璋院は苦笑して、「またどこかで」と別れを告げます。
 天璋院が輿に乗ろうとしたそのとき、嫌な予感が胸をよぎりました。

予感は的中。瀧山は、城内で自刃していました。
しかし、幸いなことに息があった。
天璋院に理由を聞かれたときに、
「大奥が哀れに思えた。1人くらい、殉ずる者がいても良いのでは」と答える瀧山。さらに続けます。

「それに、私は籠の中でしか生きたことのない身です。広い社会で生きるすべなど知らない」と。
瀧山は、遊郭で働いていたところを、阿部正弘によって大奥にスカウトされたのでした。
 天璋院は、「それは皆同じなのではないか」と返します。深い。深すぎる。確かに、社会も大きな鳥籠かもしれない…。

 刀で自分の身体を刺したのに、よく助かったな…と思いましたが、これには理由が。
 瀧山が己の身体に刃を向けたとき、懐に入れていた懐中時計に刺さったのです。その懐中時計は、天璋院(胤篤)の妻・亡き将軍家定形見の品でした。

家定の薨去を知った胤篤が、「巻く者も居ない時計など持っていても意味が無い」と突き返したのを、瀧山はずっと持っていたのです。それが、結果的に瀧山の命を救いました。

 うわ~~情緒が、情緒が追いつきません。
瀧山本人は、「己の顔などまだ見たくないと、家定公に追いかえされたのかもしれない」と苦笑していました。しかし家定は、「胤篤を置いていくな」と言いたかったのではないでしょうか(理由は後述)。

③そして想いは受け継がれる

 明治4年(1871年)。断髪し、洋装した胤篤は船の上にいます。手には写真を持っている様子。
なんと、この写真は和宮に仕えていた能登(家茂の乳母子でもある)を身代わりとして撮ってもらった「天璋院篤姫」の写真。

「そうきたか!」と唸りました。歴史オタクとしては、天璋院は写真も残っているので、どう折り合いつけるのかと気になっていたのです。
 ここまで緻密に作り込まれると、こっちが史実かもと思ってしまいます笑。

 「ここで体調を崩されては、せっかくの洋行にみそがつきますぞ」とたしなめる人。そう、同じく洋装した瀧山でした。

 さっすが古川さん、シルクハットに派手色ジャケットとかいうコーデを着こなしていらっしゃる。そこに痺れる憧r(以下略)。

 なんと、瀧山は御一新(明治維新のこと)の後に着物や洋服を扱う商売を始め、かなり儲けているのだとか。
 胤篤は、「雇ってくれぬか」と頼みます。かつての主人を使うことに渋る瀧山(ドラマの構成では、ここの下りで瀧山生存の種明かしがされます)。

 結局、承諾する瀧山。直後、シルクハットが飛ばされてしまいます。
「私が取りに参ります、ご主人様」と茶目っ気たっぷりに言う胤篤(これを聞いて「何だか寒気がする」という瀧山がチャーミング)。

 シルクハットは、同じ船に乗っていた幼い少女が拾ってくれました。この少女は、日本初の女子留学生の1人。実はこの時6歳という幼さ。
 歴史好きの方はピンと来たのでは?
 そう、この子は後の津田梅子です。

 例を言う胤篤。少女は、「みんな私を可哀想と言うけれど、私はそうは思わない」ときっぱり言います。さらに、「父が、『立派な人の妻になれる』と言ってくれた」と続けます。

 それに対し胤篤は、「立派になられるのは、あなた様だと思いますよ」と返します。
「女なのに?」と不思議がる少女。

 歴史の改変により、この少女もジェンダーの固定観念に縛られてしまっている様子。
胤篤は意を決して打ち明けます。

拾い画3


「これは誰にも内緒なのですがね、私は将軍の御台所だった男なのです。この国は、ずっと女が治めていたのですよ」
と。

完。

 いや〜〜今年のドラマで一番の傑作でしょう(個人の感想です)。
シーズン1も衣装やあらすじが素晴らしかったですが、シーズン2はよりメッセージ性が強く、ほぼ毎週感動のあまり泣いていました。

 時代ものの形をとってはいますが、ジェンダー、愛、政治、未知の感染症、さまざまな要素が詰まったドラマです。まさに「今だからこそ放送すべきドラマ」と言えましょう。

 本当はこの記事に総括的なものも載せたかったのですが、もうすでに3800字書いておりますので、そちらはまた別の記事で書きたいと思います。

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