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つづけていますか

いつのまにかの100本目の記事…
フルマラソンでいったら、最初の給水所くらいでしょうか?

まだ3か月弱。noteビギナーが得たことのご報告です。

1: 頭のデフラグが進む

頭の中に点として散らばっている情報を集める。ストレージの隅でほこりをかぶっているエピソードがときどき役に立つ発見があると嬉しい。倉庫スペースが整理整頓され、インプット用のスペースが増えます。

2: 脳の回転が速まる

自動車でいうエンジンオイル交換の際のフラッシング(洗浄)作用ですね。煤が払われてエンジンの回転がよくなる気がします。Noteを連続投稿することで日々、脳内フラッシングをやっているような感覚を覚えます。

ここまでは、パソコンハードの最適化です。

3: 双方向を体感する

普段やっているテレビの仕事では、なかなか「手ごたえ」を感じられません。それは、送り手と受け手の間に電波と画面があるからでしょうか。視聴率で、どのくらいの人に見られているかわかりますが、視聴率と番組の質の間に、確たる相関関係はありません。一生懸命作っても、視聴率って、いろんな要素(裏環境、天気、時間帯など)に左右されます。なので、視聴率で一喜一憂しません。そもそも一人で作っているわけではないので。


一方、noteは、オンラインというメディアが間にあるのですがコメントをいただいたり、日々いただくスキに「向こうには人がいる」1対1を感じられます。

自分には、そもそも「ブログ」というフレーズにアレルギーがあったので、今こうやって続いているのが不思議でなりません。なぜやらなかったのか長らくモヤモヤしていたのですが、脳内が整理されて出てきました。    

ブログアレルギーの原因

かつて、ブログなるプラットフォームが登場した頃、ライブドアが旗を振って「ブログから映画を作ろう」という「ブログフィルム」なる企画がありました。ライブドアのオフィスに放送作家が5~6人呼ばれ、それぞれにキャラクターが割り振られました。自分も“ある設定キャラ”になりきり、日記感覚で綴っていたのですが、中身はフィクション。当時、ブログの仕組みやカルチャーをよく理解していなかったので「この作業は何だろうか?」と思いつつも「なんか新しそうだからとりあえずやっとくか」という浅はかな理由でつづけていた矢先、世間を揺るがすライブドア事件が起こります。
※事件の詳細は、Google先生に訊いてください。

で、社内のゴタゴタのせいか、企画はストップというか、フェードアウト。映画になるどころか、綴り貯めたアーカイブもどこへ行ったのやら。もちろんギャラもいまだいただいておりません。(noteでは、固有名詞を出さないよう心掛けていますがギャラの未払い案件なので社名を言っちゃいますw)

今、考えると数人のブログをどうやってまとめて映画にするのか、着地点が見えないし、遅かれ早かれ破綻していたのでは?
という苦い経験が「ブログ」というワードに対するアレルギーの根源だと気が付きました。

しかし、今noteで綴っている内容の成分は、100%知見&経験。伝聞エピソードも裏どり出来ているものだけ蔵出しするようにしています。普段から「ものは試しに」という実験好きなので1次情報には事欠かないのですが、見聞きしたエピソードにも、面白いんだけど、言えるのかどうかというものがたくさんあります。どこまで披露してよいのか…

平成にインプットしたものは、平成のうちにアウトプットしきれるか。

ところで、春の新元号予想祭り。漢字の組み合わせだとか、座りの感じだとか、アルファベットのイニシャルだとか、いろいろ楽しそうですが
「平成」の成り立ち… 引用元は中国の史記と書経。
「史記」の「内 平らかに 外 成る」と「書経」の「地 平らかに 天 成る」
どちらにも記されていた「平らかに」「成る」という共通点を見つけ、「平成」が出来上がったというエピソード。しっかりした根拠あっての元号だから、今回も簡単に当てられない気がします。全く予想していないけど。


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