つきぬけますか
「コロナ ウィルスの影響でレッスンをお休みしていましたが、
6月下旬より再開したいと思います。」
いっぱいになったメールボックス。多くはダイレクトメール。
いちいち捨てるのが面倒なので、まとめて捨てます。
ゴミ箱をクリックしようとして、右手人差し指が止まりました。
「これは、違うかも。」
開封すると「再開」の二文字。
再開とは、大人のバク転教室です。キターーーーーー (古っ)
ジムなど制限付き解除になったので、バク転教室もOKになったようです。
ただし、三密を避けるため1回のレッスン(2時間)につき5人まで。
吉報は突然舞い込んでくる。メールでテンションが上がるなんていつぶりだろう。
自粛中のプチ贅沢で、地方のお取り寄せグルメなど楽しむ方、多いと思います。自分は、粛々と過ごしていたので、ここは贅沢に回数券でいこうか。
バク転教室の話、以前noteにも綴りました。
教室では15歳くらい離れた先生が丁寧に教えてくれました。
普通に生活していると、若い頃って教えられる一方で、教えてもらうことは
当たり前だと思っています。
しかし、30歳くらいを過ぎると、人は教わる側から教える側に回ります。
これって実は、人間の成長を阻害する要因にもなり得ます。
教えてもらっている時は、「ちょっと不安で」「自分の無力さを感じて」「ちょっと緊張する」感覚。
歳を重ねるごとに、この感覚は薄れていきます。個人差ありますが、学ぼうという姿勢や能力も自然と下がっていきます。
いま、世の中はかつてないほどのスピードで変化しています。3月、4月、5月なんて、午前と午後で世界が変わっているのではないかくらいの感覚でした。なので、順応する力や新しい事実を受け入れ、吸収する力が大切。
人間は、アウトプットでしか学べないと聴いたことがあります。
期末テスト前にクラスメート同士で教えっこしたとき、学びとして、より成長しているのは、教えられる側より、教える側、つまりアウトプットしている方です。
ところが、大人になってからの「教える側」は、ちょっと違って、伝える内容に絶対の自信を持っているがゆえ、徐々に「もう学ばなくていいんじゃないか」という気持ちがわいて出てくる可能性があります。
こうなると、外から指摘してくれる人がいなくなり、気づいた時には手遅れで、いわゆる肩書に縛りついているだけの仕事ができない“おっさん”になっています。
アメリカ、ミシガン州立大学の心理学者がこんな実験を行いました。
以下のような、二種類の被験者を用意。
1:能力は向上しないと信じている「頭の固い」グループ
2:能力は向上すると信じている「成長型」のグループ
脳波計につないだデバイスをかぶった被験者に出題して回答してもらいます。そして、間違った、つまり「失敗した」ときに、脳内でどんな変化が起こるか計測します。
すると、頭の固いグループは、回答の間違いを無視する傾向が…
一方、成長型のグループは間違いへの反応が強く、その後の正答率が上昇。
失敗への反応と学習効果には密な関係があります。
「失敗から学べない人は、失敗を受け入れず、知性や能力のせいにする。」
「学習能力の高い人は、失敗は能力を伸ばすために必要なものとして受け入れる。」
できることだけを続けていると、この感覚が鈍ってきます。
新しいことに取り組めば失敗の機会にも恵まれ?やすいです。
むしろ、歳を重ねるほど新しいことをやった方がいいとも言えます。
バスケットボールの神様、マイケル・ジョーダンの言葉。
「何度も、何度も失敗した。それが成功の理由だ。」
あるひとつのジャンルで突き抜けるには失敗は必須です。
物理学者のニールス・ボーアによると「専門家とは、非常に狭い範囲で生じうる間違いのすべてを経験した人」だそうです。
この言葉には、学習の重要な教訓が詰まっています。人は何度も間違いをおかすことで、正しいやり方を学びます。
教育とは、数々の間違いから搾り取られた知恵。失敗は、発明だけでなく、知恵の母でもあるんですね。
沖縄出身のお笑い芸人さんが命名してくれたペンネーム/テレビ番組の企画構成5000本以上/日本脚本家連盟所属/あなたの経験・知見がパワーの源です