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SNS依存と青春時代②

昨今、SNSの普及に伴い現実の自分とネットでの自分の人格のギャップで悩む人が多くなったらしい。 
「ネットでの自分が本性でしょ」SNS依存の自分はそう思う。

Twitterでは軽々しく「死にたい」とつぶやいていた自分だが、マイルールとして、現実で「死にたい」と口にすることは絶対的タブーだ。
理由としては、単純に「相手が反応に困るから」。

高校卒業後の進路を決める時、思いつきで看護学校に行きたいと担任には言ったが、私が通っていたのは文系コース。担任の勧めで数学のみ特進コースの先生に添削をお願いし、数学・理科に関しては自力で受験勉強を行っていた。そのためクラスで看護学校に進学したのは私だけだった。
例え知り合いが居なくて友達ができなくてもTwitterに居場所はあるし、みんなが知らない私だけが好きな音楽(当時はアーバンギャルドばかり)を聞けば自分だけの世界に浸れる。そう思っていたが、高校生の時から上辺だけの人間関係をうまく構築できる自分にとって、入学しても孤立することはなかった。

夏休みが開ける頃、学年内のどこかしらでいさかいのようなものが起こっていた。看護学校は9割が女子生徒。私は高校が女子校だったため慣れっこだった。しかし高校と違い成人間近の女性は恐ろしい。
「A子ってお金借りても返さないらしいよ」
「B子て化粧下手すぎてヤバくない?」
特定の子のいろんな噂がどんどん広まり、標的を決めて孤立させたりするようなことが横行しており、当時の私は標的にならないように必死だった。

とりあえず誰かに嫌われないように愚痴を言われれば共感し、マウントを取られてもヘラヘラとした。心はどんどん荒んでいき、そんな愚痴の捌け口はTwitterにつぶやくことだった。

ある日、「化粧して数時間は可愛いのに、帰る頃には可愛くないよね」自称サバサバ系女子にそんな事を面と向かって言われたことがある。
泣きそう気持ちを抑えて「いやいや、お前に言われたくないわ〜笑」とヘラヘラと笑った。
しかし内心では、「自分はどうしようもないブスなのではないか」と1日に何度も鏡を確認したりすることもあった。(今でもこの確認作業はしてしまう。)この頃からTwitterに自撮りを載せるようになった。ファボが来れば「大丈夫だよ可愛いよ」と慰められてる気持ちになり、「可愛い」とリプライが来れば安心感を得るようになった。
「ブス」と言われる恐怖に囚われ、「痩せれば少しはマシになるかもしれない」と思い、朝と夜は少しの食事で済ませ、昼ごはんは0kcalのコーラと0kcalのゼリーで済ませるようになり、体重は毎日1キロずつ落ちていった。停滞期に入ると体重があまり落ちなくなり執拗に自分を責めた。
段々と体力が無くなり帰宅するとすぐに横になって寝てしまい、頬は痩せこけ、勉強をしても頭が回らなくなった。
その負の感情もTwitterに吐き出し、精神的にどんどん不安定になっていった。「このまま栄養失調になって死なないかな。ブスだし生きてる価値ないな。」そんな考えがよぎるようになった。
実際に当時、拒食症になり病的に細身で美人なフォロワーが居た。Twitterのタイムラインで見るものが全て正しいと錯覚していた自分にとってはこれは自然なことなのだと思っていた。

この生活を続けて2ヶ月後、授業中立っているときに目の前が白くなり気づいたら床に倒れていた。
担任から「自分の体調管理が出来ていない人が看護師になれますか?」と説教を食らい、仕方なく食事を摂るようになった。

Twitter依存により、現実との境目が曖昧となった。


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