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1)入院から始まった話

忘れないうちに、2年前の相続狂騒曲を振り返ることにしました。
…それでも、細部はもう怪しいモンですが。

1.

父は病院へ入院して、3カ月で亡くなりました。
いい意味でも悪い意味でも、父は『殺しても死なない人間』だと思われていたので、80を過ぎた高齢者であるにも関わらず、周囲のショックは大きかったです。

ただ、入院してからはベッドに縛られ、殆ど点滴に生かされているという状態だったので、ようやく解放されたんだな…という感慨は皆の胸にあっただろうと思います。入院中見舞った人は皆、元気過ぎた父の姿を思ってか、本当に気の毒そうな顔になってました。

父は昔、長い付き合いの人と『どっちかが寝たきりになったら殺してやること』を誓ったと言ってました。そのご友人は父より少し前に亡くなったので、殺しに来てはもらえなかったのですが、迎えに来てはもらえたと思ってます。

残された人間は、(有り難いことに)感傷に浸っていられる時間はなく、役所やら葬儀屋やらを走り回ることになりました。葬儀、親戚関係は長男である兄が手配することになったので、自分はお役所、相続関連の事務手続きを引き受けました。

父が使っていた引き出しを開けると何冊もの通帳、大量の金融機関からの通知、大小さまざまなハンコなどがありました。
これ全部解約の連絡しなきゃならんのか、と少し気が遠くなりましたが、おそらく古い通帳が残ってるだけで、まさか本当に5つも6つも金融機関周って、処理に1年掛かることになるとは思ってませんでした。

2.

保険屋は、亡くなった日の夕方にはすっ飛んできました。数々の必要書類と一緒に。入院中も『もし現金が必要になったらご相談ください』、と言っていただけあって、しみじみ『生死』のエキスパートだなぁと思いました。

現金は入院時から必要でした。
初めは1、2週間だと思っていたので、自分や兄が出しておけばいいか…くらいに考えていたのですが、1カ月がたった時点で、これは苦しくなるぞ、と思い直しました。

治療費は、後期高齢者なのでそれほどでもありませんでした。ですが、咳やうがいで夜中うるさいとのことで、すぐに個室に移されました。暗く狭い部屋でしたが、個室は個室です。その差額ベッド代としてほぼ1日1万数千円の費用になったのです。

差額ベッド代は健康保険の適応外です。ひと月30万強……しかもこの先、これがいつまで続くかも分かりません。医者は病状に関して、はっきりしたことは言いませんでした。

今思えば、『年齢から察してくれ』という感じだったのですが、治療らしい治療もせず、診療もしてくれない医者(院長)を母は、後々まで恨んでました(『あの病院に殺されたようなもんだ』というテンプレを周囲全部に広めてました…(-_-;))。

3.

実家は小売店をやっていて、メインの口座は父の名義でした。入院後は、預金を下ろすこともできず、商品の仕入れ等で兄の方はいっぱいいっぱいに。自分もすぐ動かせるのは100万がいい処でした。

おそらく似たような話はたくさんあると思い、銀行に相談したところ
行員がベッド脇まで参りますので、話せるのなら…
と言われました。

すでに身体的に声が出にくく、誰かと意思を交わすのも難しい状態だったので、そう答えると『筆談は?』と聞かれ、もっと無理だと答えるしかありませんでした。

このままなら、母の定額貯金を前倒しておろすか、保険屋さんに相談するか悩んでいた頃、病院から危篤の連絡が入り、父はそのまま、目を覚ますことなく旅立ちました。

自分はちょうど、出かけていたので間に合いませんでしたが、母、兄、兄嫁に看取られての大往生でした。


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