見出し画像

木を見て森を見ず

木を見て森を見ず、と言いますが、自分がどこにいるか分からない人は自分が何を見ているかが分からないものです。だから、ある一人の発言を全体に適応して憎悪を煽ったり、あるいは、耳目を集めることが目的なのか分かりませんが、そういう方も日本語教師ならずとも一定程度いらっしゃいます。

外国人児童の不就学に関することについて

なぜこんなことを言うかというと、ある日本語教師が小学校教師がとの会話の中で<外国人児童生徒は就学義務がないので、不登校等については指導は不要、学校は日本人児童のためにあるのだ>というような主旨の発言があったそうです。それをSNS上に書き込み、それについて、子どもの権利条約を知らない、人権が守られていないなど多数のコメントが寄せられています。

冷静な議論を

私はこの手のものについては冷静に見ることが必要です。どういう質問をしたのか、どういう会話の中で出てきたのか、Twitterの書き込みでは分かりません。さらに言えば、このような会話が実際にあったのか、小学校教師が実在するのかすら本当には分からないのです(発信者を嘘つき呼ばわりしたいのではありません)。各章のないことを契機にして、周りの議論が過熱し、学校に対する憎悪を強化し、バッシングを加速するようなことはあってはならないからです。

不就学に何もしていないということはない

おそらくこの手のツイートをした方と賛同した方は、このツイートだけを見てなるほど学校はそんなにひどい状況なのかと思われたかもしれません。しかしそれは実態とは異なります。
なぜなら、令和元年、令和三年に文部科学省で「外国人の子どもの就学状況等調査」が行われています。

この調査があるということは、不就学が問題だという認識があるということでもあります。愛知県、岐阜県での粘り強い取り組みがこれに反映されているものです。

確かに自治体によって情報保障の面で十分とは言えない地域もありますし、今後改善が図られるべきところも山積しているというもの事実です。だからといって、日本の学校全体が、先生たちが、何もせずに手をこまねいているわけでも、邪魔者扱いしているわけでもないのです。なんなら、少なくとも勤務校は、日本人も外国人も関係なく、無断欠席しようものなら鬼電ですよ。

まとめ

確かに、学校教員の中にも考え方が狭い方や、外国人に対して拒絶感を示す人もいるのは事実です。一方で、実際に関わっていく中で、生徒たちの話を聞く中で、見方や捉え方が変わっていくのも見てきました。それに、いくら外野の人たちが、SNSで反対意見を表明してなじったところで超巨大組織である学校はびくともしません。明日もまた一歩、前進に向けて努力するしか、今のところはないのです。