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幸せに生きる


18℃の帰路コンビニの関東煮


自分だけ年を取らない筈もなくて、あたしと足並み揃えてみんな年を取っていきます。

年を取るのを止めたのは亡くなった人達で、残されたあたしたちはいまだに年を重ねています。

田んぼやハウスで這いつくばって働いているおっちゃんにおばちゃん、彼らは両親と年が近いので、とっくの昔に80歳の半ばを越しています。

お嫁さんの来てがなく今も独身の息子さん、彼はあたしより年上だったのでとっくの昔にアラ還越えです。

年がら年中仕事がある農家です。働けるのは健康な証拠かもしれませんが、そろそろ誰か止めてやって、と思うほど年老いています。

それでも、日の暮れるのが早くなってきて、早めに切り上げたのかしら、道端で立ち話をして寛いでいます。

あたしはいつの間にか小学生になっていて、まだ若かった頃のおっちゃんやおばちゃんの姿を眺めています。

無知とくそ生意気が混在した、可愛げのない表情の幼いあたしも見えます。

あれから半世紀、どちらもとうにガタがきた年齢です。でも、今でも彼らは今も田んぼやハウスに這いつくばっています。あたしはと云えば、人並みに世間に揉まれてきたので、愛想笑いができるようになっています。

「あんな不細工な嫁はおらん」

あたしの姿を見かけて、後ろの家の認知症のおばちゃんが話しかけてきます。

会えば息子の嫁さんの文句ばかり、とはいえ息子さんだってモロ百姓という容姿です(何て言うと偏見でしょうが)。ガタイもいい、よく働いて、男のお孫さんを二人も産んでくれて嫁さんに文句なんて罰が当たります。

ご近所の農家の長男、お嫁さんが来てくれた家は、ざっとみても2割程度でしょうか。

元々、結婚適齢期の男性が少なく、なかにはせっかく結婚しても、舅、姑との確執で家を出た嫁さんもいます。県庁所在地の高知市に住んでいるのに、少子高齢の波の真っ只中、もはや限界集落です。

農地は農地にしか使えず、家を建てることはできません。まさに何もかもがどんづまりでして、閉塞感だけが漂っています。

そんな閉塞感のなか、おばちゃんが川で収穫した野菜を洗っています。半世紀も前と同じ光景です。

周りには誰もいないのに、マスクを装着しています。滅多に来ない孫に病気をうつさないように気を付けているのかしら。

嫁さんを不細工と呼ぶ認知症のおばちゃん、「お母さんは元気にしゆうかねぇ」といつも通りの挨拶です。

そのおばちゃんにとって、仲の良かった母は今も生きているし、あたしはそんな母の娘、善き隣人ですし、たとえ不自慢の嫁でも孫は可愛いもんです。

もしかしたら、いちばん幸せなのかもしれません。認知症、忘れるって悪いことばかりでない気がします。


風呂吹ふろふきつまの腹部に似たりけり」